DEATH 「死」とは何か~イェール大学で23年連続の人気講義(シェリー・ケーガン)
余命宣告を受けた学生が、”命をかけて”受けたいと願った伝説の授業の完全翻訳版!–人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか
縮約版では割愛せざるを得なかった「前半部分」 ・二元論と物理主義(原書chapter2) ・「魂」は存在するか(?原書chapter3) ・デカルトの主張(原書chapter4) ・「魂の不滅性」についてのプラトンの見解(原書chapter5) ・「人格の同一性」について(原書chapter6) ・魂説、身体説、人格説―どの説を選ぶか(?原書chapter7)と、「DEATHからさらに考察を深めたい人のための読書案内」つき!
※本書の第1講、第8講~第15講、「死についての最終講義」は、『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義〔日本縮約版〕』と同内容です。第2講~第7講の追加に伴い、原書に従う形で一部を再編集しております。
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30代男性 この本は「死」について深く考えさせられる本になっています。読み進めていくと、「死」に関連して「自殺」というキーワードが出てきます。
「自殺」というキーワードを連想した時、たいてい多くの人間はマイナスのイメージを抱くと思います。しかし、この本の著者でもあるシェリー・ケーガン教授は、「自殺」という方法で人生を終えるという1つの方法は悪くないのではないか、そういう考え方を持っています。
確かに、自殺をする人は死にたくてその方法を選んでいるのだと思います。取り残された家族、親戚などの人達からしてみれば、とてもつらく悲しい出来事で「何で死ぬんだ」という気持ちになることもあるかもしれません。
しかし、人間には必ず「死」がやってくるので、死を否定することはおかしいことなんだと考えることもできます。自殺はする方もされる方もつらく悲しい事ですが、自殺はある意味では自分のタイミングで人生のピリオドを打っているだけなのかもしれないと考えることができます。
歳を重ねて老衰で亡くなること、病気で亡くなること、これらと同じく 形は違えど人生を終えるということ。この本を読んでいると死について今まで考えもしなかった思考に辿り着くので、人生観や日々の暗いニュースなどを見たり聞いたりした時の反応が変わります。
そして、私たちは未来をおおよそ決めつけて生きてしまっているということもシェリー・ケーガン教授は指摘されています。確かにそうだなと私は思いました。
人生で大きく挫折をした時、このままずっと折れ線グラフで言えば下降していく未来を想定します。耐えきれなくなった人は人生をドロップアウトをしてしまうかもしれない。そんな時には一度立ち止まり、この本に書いてある重要なことを思い出すといいと思っています。それは「未来を勝手に決めつけてはいけない」ということ。
折れ線グラフで例えた時に、生きていれば実は上昇する未来が待っているかもしれない。現在の思考に捉われて思考が硬くなっている可能性があるということ。そしてまた、「死」そのものも悪いものではないということ。人生を終える大切な手段であるということ。
本当に深く考えさせられる本で 常に私の頭の中に生きています。最初は読んでいても難しいかもしれませんが、どんどん興味が湧いて引き込まれていきます。著者でもあるシェリー・ケーガン教授の講義が人気あるのも納得がいきます。
今、何かに悩んでいる方、生きづらさを感じている方、逆にそういった方々を救いたい方、学問目線で「死」について興味がある方など、多くの人に1度手に取って読んでみてほしい本です。
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死の壁(養老孟司)
過去に死ななかった人はいない。人間の死亡率は100%なのだから。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題に『バカの壁』の養老先生がズバリ解答!
Q.自殺はダメ? A.「どうせ死ぬんだから慌てるんじゃねえ」 Q.生きがいとは何か? A.「そんな問いは暇の産物。トイレに行きたいときに考える?」 Q.なぜ人を殺してはいけないのか? A.「死は回復不能だから」……など、死にまつわるさまざまなテーマを通じて、現代人が生きていくための知恵を考える。逃げず、怖れず、考えた最終解答!
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20代女性 暇な時間に ふと死について頭をよぎった。明日突然、自分に死が訪れたら…というようなものだ。人間、すごく暇になると普段は絶対に考えないことを考えはじめてしまうようだ。
Youtubeで養老孟司さんの講演を収録したものを目にして、この人の話す「死」は どうも私がこれまで感じてきたものと違うぞとザワザワした。そして、『死の壁』(養老孟司)を読んだ。
養老氏は自分自身の死を「一人称の死」と定義づけている。
俺の死体、私の死体というのは、自分自身で見ることも感じることもできないのだから、はじめから「ない死体」ということになる。だから、いくら考えてもないものはない、考えてもしょうがないものなのだ、と潔い考えが述べられていた。
個人主義の加速する時代、ついつい自分の死を「一人称の死」を考え身構えてしまうが、考えるべきはむしろ「二人称の死」「三人称の死」であるという。
「ない死体」以外の、見て触ることができる(実際には二人称の死である親族や親友のもの以外を目にする機会はまれだろうが)死んだ人の体について考えることのほうがはるかに意味がある、ということだ。なるほど、説得力がある。
「二人称の死」は親や親友といったお葬式に参列するような親しい間柄の人の死で 「三人称の死」はそれ以外の他人の死ということだ。
身寄りのない人の孤独死が社会問題として取り上げられるようになったが、これは「三人称の死」にあたる。私たちは「二人称の死」を◯◯さんと名前で呼び、「三人称の死」である他人の亡骸はただ「死体」と言う。
「三人称の死」を◯◯さんと呼ばないまでも その亡骸を尊重できたなら孤独死も自分の死の形として恐怖感なく選択肢の一つとなるのではないか・・・そう思った。
僕の死に方 エンディングダイアリー500日(金子哲雄)
「命の始末」を綴ったベストセラー。「時間を忘れて一気に読んでしまった」「こんなに涙が止まらなかったことは初めてです」「これからも何度も読み返すと思う」「悲しいけれどあたたかい気持ちになりました」・・・世代、性別を越えて、異例ともいえる数の感想が今も寄せられ続けています。
突然の余命宣告。絶望の中で、やがて彼は自らの「命の始末」と向き合い始める。その臨終までの道程は、とことん前向きで限りなく切なく愛しいものでした。これは、41歳で急逝した流通ジャーナリストの見事な死の記録です。
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40代男性 本書を何度か読み返しましたが、最初に読んだのは6~7年前ぐらいだったと思います。本当に素晴らしい本でした。これは金子さんが金子哲雄という人間の人生をプロデュースした、名プロデューサーの自伝・エッセイとでも言うべき名著です。
時には第三者的な目線で物事全体を冷静に捉え、時には内面に入り込み深淵を探って個体の持つきらめきを最大限に輝かせて見せる。短い人生だったけど本当に上手に使い切った、やり切った人生だったことがよく伝わりました。
最初にこの本を手にした当時、私自身はまだ30代半ばでした。これまで大病どころか風邪やちょっとした頭痛すらほぼ経験がないほどの健康体だったので、自分自身の死となると正直まだ現実味がまったくなかったのです。
残された時間がわずかだと知っていながらバイタリティに溢れ、頭もよく働き、エネルギッシュに日々を過ごす金子哲雄さんの様子が筆致からも感じられて 心がザワザワと騒ぎ揺さぶられる場面が何度もありました。また今の私自身にもやっておくべきことがあるんだということに気付かせてもくれました。
考えてみると、私ももう金子さんが亡くなった時と同じ世代になってるんですよね。私はちゃんと生きられてるのかな。ふとそう考える時にこの本のことを思い返すと、もっと色々できることはあるんだよ。人の可能性って凄いんだよ・・・と、あの明るい表情で金子さんが言ってくれてる気がして活力が出てきます。
生前の金子哲雄さんのことはテレビで知りました。独特の切り口から行動経済学を語る元気で風変わりな人だなというのが印象でした。感想は正直それだけで、特に好きでも嫌いでもという感じの存在でした。
ただ、彼の訃報はあまりにも突然で「この前まで元気に出てなかったっけ」「事故か何かかな」「病気?嘘でしょ」といった感じで衝撃を受けたことを覚えています。
彼が自分の命のタイムリミットが迫っていることをはっきり自覚していたこと。およそ考えられる生きているうちに出来ることをやり尽くして逝ったことなどを私が知ったのは さらにその後です。
そんなふうに 私の中では彼の死後に彼の存在が大きくなっていたので、金子哲雄さんの本が出版されていることを知り、買って読んだ時は 好奇心の塊のように精読しました。
著者は本の中で「自分の病気のことは周りに伏せて仕事を続けると決めた」ことも記しています。人の機微に気付けるような人は見抜いていたかも知れませんが、ただ漫然とテレビを点け 呑気に見ているだけの私はすっかり騙され、脳天気で明るい人だとばかり最後まで思ってました。
だから先述したように彼の死があまりにも突然で衝撃的だったわけです。なんのことはない、脳天気なのは私の方でした。彼はシメシメと思っているかも知れません。「金子さん、あなたの作戦は成功しましたね」と言いたい気分でした。
思えば「ダイエットに成功した」などと嬉しそうに話していたのも 芝居だったんですよね。そう思うとものすごく切ない気持ちになると同時に、見事にしてやられたというある種の爽快感も不思議とありました。
本の中には自分の人生に関わってくれた周りの人のことを思いやる様子。病気を伏せると決めたはいいけど 友人知人に真実を伝えないことへの心苦しさ。残していく大好きな奥さんへの思い。それでも明るく前向きに 次々とアイデアを生んで行動に移していく彼の強さと健気さには 胸が締め付けられました。
こんなに最後までバイタリティに溢れてエネルギッシュに生き抜いた人って他にいるのか!?というぐらい凄かったです。ちょっと言い方は変ですが、凄すぎて笑ってしまうぐらいです。
だってギリギリまでハイテンションで仕事をこなしながら、行政的な手続きやお世話になった方それぞれに宛てた手紙の準備、墓の手配から葬儀の事細かな内容の指示、戒名の取得に至るまで 全部自分自身で完璧に用意して旅立ってるんですよ。最後にはスタンディングオベーションの気分になりました。
誰もが避けられないそれぞれの死までに どんな生き様でその人生を生ききるのか、正直学校の教材になってもいいぐらいの名著です。この本を心からお勧めします。
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