大久保清女性8人連続殺人事件の謎と殺人鬼を完落ちさせた刑事の執念
私は犯罪心理学に興味があるのでいろいろな事件系の本を読んでいますが、自分の中でもワースト1の事件が大久保清(当時36歳)による8人女性連続殺人事件です。
この事件はちょうど50年前、1971年(昭和46年)に起こり、大久保清はわずか41日間で、16歳から21歳の8人の女性を殺害しています。
この事件が私の中で最悪な理由は 大久保清が稀代の殺人鬼であることだけではありません。この事件が私の幼少期に身近で起きていた事件だったからです。
実は私は高校生まで群馬県に住んでいまして、同じ高校の先輩が大久保清による被害者の中の一人(女子高生)です。そしてその被害者の家がたまたま近所だった…という偶然が重なっています(面識はなし)
この事件の頃の私は未就学児でしたから、リアルタイムでの身近な騒動は覚えていませんが、周囲からさまざまな話を聞く機会がありました。
入った高校には 大久保清事件当時にもその高校で教壇に立ち、被害女性をリアルに知っている先生がいて、渦中の様子をつぶさに聞きました。
また被害者宅が近所だったことで当時の騒動の様子や、被害者宅への中傷電話が鳴りやまなかった話なども聞いていました。
これら2つの偶然が重なったことで、まるで他人事のように思えない気持ちになったのかもしれません。
この事件情報が多感な思春期に入ってきたことで、まるで自分がリアルタイムで大久保清事件を知っているかのような錯覚を覚えるのです。
大久保清女性8人連続殺人事件の概要と女性を誘い出した手口

引用元:連合赤軍狼たちの時代
1971年(昭和46年)3月からの2か月間にわたり、群馬県内で16歳~21歳の若い女性たちが次々と姿を消した。
そしてこの時、行方不明になった女性の自転車についていた指紋を消そうとしていた男がその場で逮捕された。
逮捕されたのは 犯歴6回(うち4回が婦女暴行)で1971年3月2日に府中刑務所を仮釈放になったばかりの男だ。
そしてこの男の取り調べが進んでいく中で驚愕の事実が次々と発覚していった。男は判明しただけでも8人の女性を殺害していたのだ。
男がわずか41日間に声をかけた女性は127人、うち誘いに乗って車に同乗したのは35人。
そのうち性交渉まで至ったのは殺された8人を含めた十数名であることが判明している。
この男こそが稀代の殺人鬼、大久保清(群馬県高崎市在住の当時36歳)である。
大久保清が女性を誘い出す手口とは?
そもそも127人もの女性を大久保清はどうやって誘ったのか?
大久保清はスポーツカーに乗り、ベレー帽にルパシカ(プルオーバータイプのシャツ)といういでたちでガールハントを繰り返していた。

引用元:連合赤軍狼たちの時代
画廊を所有する「フランス帰りの画家」を装うのが大久保清の手口だった。

すいません。

はい?

あ…人違いでした。昔、あなたみたいな素敵な方に絵のモデルになってもらったことがあって。

素敵だなんて…。あなた画家なんですか?
大久保清は女性のタイプによって、巧みに嘘をでっち上げた。

はい。もしよろしかったら、私の絵のモデルになっていただけませんか。

え…。でも、やったことないし…。

あなたならきっと、素晴らしいモデルになります

じゃあ、お話くらいなら…。

どうぞ。シルブプレ (…と言って女性を車に乗せる)
フランス語交じりの会話に 画家をアピールするベレー帽とスポーツカーが 大久保清のトレードマークだった。
大久保清のターゲットは学生やOLなどの若い女性ばかり。8人の被害者は16歳から21歳の女性だった。

すいません。この辺に画廊とかありますか?

さあ、分からないです。(大久保の車内を見て) あっ、それって「ライ麦畑」サリンジャーの?
大久保清は女性を信用させる小道具として、車内に常に洋書や美術品を積んでいた。

近くにアトリエがあるので、よかったらそこに行きませんか。すぐ近くですよ。どうぞ(…と誘って女子高生を車に乗せる)
表裏の二面性を持つ殺人鬼の本性
1970年代当時はお見合い結婚の割合が高く、お見合い結婚とと恋愛結婚の割合は6:4という時代。
誰もが恋愛に憧れを持っており、大久保清の柔らかな物腰と知的な会話は 女性たちを夢見心地にしたのだった。
実際に誘われた女性の3人に1人は、大久保清の車に乗ったという。

被害に遭わなかった女性に話を聞くと「大久保清は優しい人だった」という女性が何人かいましたよ。
しかし 昼間は紳士的な大久保清が夜になると豹変し、人気のないところに女性を連れ出しては乱暴を繰り返し、

これで自分たちは恋人だ。
…と悦に入っていたらしい。
ただ、乱暴された女性が全員殺されたわけではなく、大久保清を凶行に走らせたのは、彼を否定する言葉を発した女性だった…ということになっている(大久保の供述によると。死人に口なしなので、それが真実かどうかは不明)

けだもの!アンタは最低の人間よ!

おじさん、ホントに画家なの?それ(大久保が口ずさんだ自作の詩)だって、詩じゃなくて日記じゃないの~(笑)
大久保清は相手に嘘がばれたり(名前も職業も全部ウソ) 自分を否定される言葉を吐かれると怒りに身を任せて女性を殺害したという(ことになっている)
芸術家の仮面をかぶった連続殺人鬼の素顔は 無職で妻子と別居中の前科6犯。
しかし大久保清は女性たちの前では画家や美術教師や英語や数学の教師などを装っていた。
大久保清の「女漁り」という夜のお仕事
この事件の解決は「死体なき殺人」から始まった群馬県警の執念の捜査によるものだった。
殺された女性の例が大久保清の夢枕に立つようになった話も有名で、それにおびえた大久保清が自供することで捜査が進展し、一応の決着を見たことにはなっている。
しかしながら現実的には、新聞で報道された大久保清の供述が真実なのかどうかすらはっきりしていない(供述が虚言である可能性が高いと言われている)
当然、被告人である大久保清については徹底的に心理鑑定がなされたが プロの目から見ても 未だに謎と闇の深さが桁違いの事案だという。
それゆえ大久保清には心理鑑定人はずいぶん手を焼いたようだ。
大久保清は自分の心の中に立ち入られることをおそろしいほど拒み、途中でブチギレて テープ録音を切ってしまうこともあったという。

ものすごい形相で威嚇され、鑑定人は身の危険を感じた。
それでも心理鑑定人たちは186日間に渡り「殺人」という極限状況下の人間の心の闇に迫ろうとした。
元妻には交際期間中に手を握ることすらなかった大久保清
心理鑑定には大久保清の元妻も聴取に応じている。

結婚までの約一年間の交際期間中には、肉体関係はおろか、接吻、手を握ることすらなかった。警察の方からも「そんなはずはない!」と言われたが、それは事実である。
大久保清は交際中の元妻に対しても経歴はもちろん、名前さえ明かさずにずっと偽名を使っていた。
そしていざ結婚の段階になったとき

大久保家に養子に入って、名前も変えた。
…とすぐにばれる嘘をついていた。
もちろん元妻は 結婚後には大久保清から今まで聞かされていたことが全てうそだとわかったが、なぜそんなウソをついたのか理解に苦しんだという。

被告人の生活全般を通じて、表と裏という二重性が顕著にみられる。一面では如才なくよく働き親切である。反面、被告人は結婚の翌日から、雨にもめげず毎晩毎晩夜のお仕事(おそらく女漁り)に出かけている。また、強姦や恐喝といった犯罪も繰り返している。被告人と関係があった女性は、数えきれないといっても過言ではないであろう。
大久保清は意外にもノーマル!異常な性的嗜好はなかった
心理鑑定人はさらに大久保清の人間像を探るために、大久保と肉体関係を持ちながらも殺されずにすんだ2人の女性に聞き取り調査を行った。
一人は19歳(デート回数5回、うち性交渉3回) もう一人は17歳(デート回数11回、うち性交渉2回)である。
そこで語られた内容を見る限りでは大久保清はいたってノーマルで、異常な性的嗜好は見られなかったという。

その結果、性関係及びその前後の行動にとくに異常と思われる行為はなかった。女の頸を絞めたり、女に苦痛を与えることもない。
大久保清本人も、このような言葉を残している。

女は全体として好きだが、単に性欲の対象として好きなのではない。
大久保清は「絵に描いたような」自分の世界を共有してくれる女性をひたすら求めて、声をかけ続けていたらしいことが窺えたのだ。

被告人は女に異常な嗜好を有し、アルコール嗜癖と同じ意味での女嗜癖を有する。女漁りこそ被告人の生きがいであり、被告人の教養・趣味・技能もすべて女漁りに動員された。
女漁りを続ける一方で 大久保清は8人もの女性を殺し続けていた。
②4月6日…ウェイトレス殺害(17歳・高崎市)
③4月16日…県庁臨時職員殺害(19歳・前橋市)
④4月18日…女子高生殺害(17歳・伊勢崎市)
⑤4月27日…女子高生殺害(16歳・前橋市)
⑥5月3日…電電公社職員殺害(18歳・伊勢崎市)
⑦5月9日…会社事務員殺害(21歳・藤岡市)
⑧5月10日…家事手伝い殺害(21歳・前橋市)

何度会っても自分を信じて疑わなかった女は殺さなかった。俺は自分のことを詮索したり「警察に言うわよ」と言った女を殺したんだ。
すべてが大久保清一人の供述なので真実だとは言い切れず、だいぶ被害女性を侮辱している場面も多いが、犯罪心理学者はこれらのほとんどは虚言である可能性が高いとみていたようだ。
大久保清の愛車 マツダ ファミリア ロータリークーペ 9537㎞の狂気
1/24国産名車コレクション マツダファミリアロータリークーペ
ベレー帽の連続殺人犯が乗り回していたことが人々の記憶に残ってしまった不憫なクルマ。クセの無いボディーラインは物足りなさもあるが綺麗なデザインだとおもう。 pic.twitter.com/7OzMqsDT3A— 逆柱いみり (@Pwe3x4wPeQ9j3yA) June 16, 2018
大久保清の生家はそこそこの資産家であり、府中刑務所を出所した大久保清は 出所3日目に父親にねだって 白いスポーツカー(マツダ・ファミリアロータリークーペ)を買ってもらっている。
「どうしても仕事に必要だから」という理由だったが、この車が仕事に使われることはなかった。
大久保清は毎日午後4時になると風呂に入り、こざっぱりしたところで女子高生の下校時間やOLの退社時間を狙っては毎日ガールハントにでかけた。
白いクーペに乗って1時間に1人のペースで女性に声をかけていたという。

女は車に弱いんだな。やさしく声をかければ10人のうち7人はついてきた。
大久保清の府中刑務所出所から逮捕までの73日間の記録によると、ガールハントのために愛車で1日平均170キロメートルを走行。逮捕時の走行距離数は9537キロメートルだった。
【死体なき殺人事件】警察を翻弄した大久保清の嘘と落合貞夫刑事の日記

捜査の重点はいきおい被疑者の自供にすべてをゆだねるほかはなく、その自供に基づいて被害者の遺体を発見し裏付けを取る。
大久保清連続殺人事件は捜査概要にもある通り「死体なき殺人事件」だったため、全容解明が難航していた。
警察刊行の大久保事件資料が12万円で売れてる。大久保清が自費出版した詩集が出現すればいくらになるかな。戦後詩集をコレクションするなら最大級のキキメでしょ
群馬県警察本部『大久保事件捜査概報』昭和48https://t.co/Ea7SqT56p0 #ヤフオク pic.twitter.com/p7kytt38Pz
— 兵務局 (@Truppenamt) December 27, 2020
大久保清の逮捕
この事件の発端はある女性が行方不明となり、1971年5月14日に大久保清が「わいせつ目的誘拐容疑」の被疑者として逮捕されるところから始まる。

【身体所見】体重60.6㎏ 身長159.4㎝ 栄養状態は良好で、筋肉は発達するが 骨格の太さは中等。体毛は広範囲で著しく多い。体形は肥満-闘士混合型。
舌先が中央に切れ目を持ち、二分葉に分かれている。この原因について被告人、父、元妻の意見はまちまちである。接吻の際に相手から噛まれた可能性も十分にありうるようである。
舌先が中央に切れ目を持ち二分葉って・・・二枚舌みたいでなんかキモい(汗)
大久保清を完落ちまで取り調べをした捜査員の一人、落合貞夫刑事(当時40歳)は、当時の大久保の様子を日記に綴っていた。

大久保清は逮捕されたことにより「死刑になることは覚悟している。俺がこのように悪くなったのは警察が女の言い分を聞いて、俺を何度も刑務所にやったからだ。だから徹底的に反抗してやる!」と言った。

大久保清の取り調べ、自供はウソ。
さまざまな目撃証言から大久保清を逮捕した警察だったが、取り調べを始めると大久保は意外にもあっさり女性殺害を自供していた。ところが・・・

殺害したことを自供はしたが 遺体の場所を言わなかった。殺人事件は死体がなければ起訴できない。
大久保清の自供をもとに、県内外の5000か所、のべ3000人以上の捜査員を導入して被害者の捜索をしたが、とうとう遺体は出てこなかった。
この段階での大久保清の供述は全て嘘だったのだから、遺体が出てくるはずがない。その後も大久保清は遺体の遺棄場所の供述を二転・三転させて、警察を振り回し続けた。
いくら殺害を自供しても、物的証拠となる遺体が出なければ 証拠不十分で釈放の可能性も出てくる。大久保清はそれをすべて承知の上で、嘘の自供をしていたのだった。

遺体をどこに埋めたのか白状しろよ。

私はね、バタバタやってやろうという気分なんですよ。捕まるのは覚悟しているんだ。捕まりゃ死刑になるんだから。
榛名で女性の遺体発見

17歳(女子高生・伊勢崎市)の遺体発見現場 引用元:連合赤軍狼たちの時代
事件が大きく動き始めたのは、その1週間後の5月21日。
群県立榛名公園の管理人が公園内を巡回していて奇妙な土盛りに不信を抱いたことに始まる。土を掘り返したところ、女性の遺体を発見したのだった。
その遺体は 原因不明の家出人として捜索願が出されていた女子高生(17歳)であることが判明。諸般の状況からこれも大久保清の犯行とみられ、事件はにわかに連続殺人の様相を帯びてきたのだった。
しかし大久保清はかたくなに自供を拒み続けていた。

俺は人間を捨て、人間の血を捨てたんだ。両親も人情もない。被害者もかわいそうだと思わない。人間を恨み、血を憎んでいるんだ。俺が言わなければ絶対にわからないんだ。俺は言わない。

特異な供述なし。

特異な供述なし。

刑事の中には大久保清から「殴りたければ殴ってみろ!」と言われた人もいた。でも、こちらが怒ったからといって自供するもんじゃないしね。

黙秘
ここまでは大久保清が遺体の場所を自白する気配は一切なかった。
ところがこの後、一人の刑事の言葉が事態を一転させ、大久保清を完落ち(全面自供)に向かわせたのである。
殺人鬼大久保清が詩の朗読に涙して完落ちした話
大久保清逮捕から2週間が経とうとしていた1971年5月26日(逮捕から12日目)
落合刑事はこの日、なぜか供述をとろうとせず、大久保清の前で詩を暗誦した。

私は山を愛する
あの山は私をまねいている
黄土色のアプリコットが
私のひだをうるおし
それらの香りが
私の脳裏にしみついた
いつかある日
山で死んだら
古い友よ 伝えておくれ
俺は男らしく死んだと
それを大久保は神妙に聞き入っていたという。

いい詩だな、大久保。女はみんな、この詩に聞き惚れたんじゃないか。
すると突然、大久保清が大声で泣き出した。

俺の詩じゃねえかーっ!
(号泣)

お前にこんな才能があったとはなあ…。
警察の「詩」を引き合いに出して歩み寄る作戦
落合さんは大久保清がいちばん認めてほしいものをずっと探していたのだ。そしてその答えは大久保清の詩集にあった。
大久保清は詩が大好きで特にリルケの詩を愛していた。いちばん感銘を受けたのはリルケの「黄色なるバラの花の詩」だという。
好きが高じて大久保清28歳のとき(1963年) 谷川伊凡のペンネームで詩集「頌歌(しょうか)」を自費出版している。
「頌歌」の内容は、獄死、囚人、殺意、白骨、墓場など、おぞましい犯罪者の心理が窺えるものが多かったが、落合刑事はその中の一編を暗誦していたのだ。

今までの捜査をみても 被疑者をおだてて自供させるのがいちばんだった。
刑事たちは大久保清の取り調べに対する戦術を変え始めた。犯罪者の心境に近づくために若い女性をロマンチックな気分にしそうな詩を選び、リルケ、ホイットマン、ヘッセなどの詩を暗誦していたという。
そして落合刑事は取り調べでそれを引合いに出し、大久保清の才能を認めて歩み寄り 自供を促すことに賭けた。

この俺の気持ち、わかりますか?

ああ、わかるよ。
大久保清の完落ち
稀代の殺人鬼は自分の存在を認めてくれた言葉に落ちた瞬間、この事件の発端となった行方不明女性殺害の全面的な自供を始めたのである。

妙義山麓で強姦し、丸裸にして道路端に埋め、衣類は帰り道、現場近くの碓井川に捨てた。
翌日5月27日、捜査陣は大久保清を遺体が埋められた現場に連行した。
そして大久保の指示どおり、裏妙技の桑畑から行方不明女性の遺体を発見した。

引用元:連合赤軍狼たちの時代

女の死体は十分に穴が掘れずに埋めたので心配になり、2回ほどデートを装って様子を見に行き、土をかけなおしたこともあった。
この1件に関しては遺棄現場まで自供しているが、その後7人の女性についてもこのように大久保清がすんなりとすべてを自白したわけではなく、実際にはこのあと2か月の時間を要している。
【大久保清事件の謎】最後まで解明されなかった「動機」不明の殺人
捜査陣が頭を抱えた問題が1つあった。それは大久保清の殺害の動機がわからないこと。
なぜ8人の女性を殺さなければならなかったのか?大久保清の殺害動機についての供述は一貫して曖昧なものだったのである。
どんな犯人にも必ず殺害動機は存在する

普通の殺人事件には動機があるものだ。その点を突かれ、いかにその動機が人道に背いたものであるかを説得されると、鬼のような犯人でも必ず「ワッ」と泣き出す。しかし大久保清には動機がなかった。
心理鑑定ではさまざまな心理テストが行われていた。
その中のひとつの知能テストでは大久保自身があまり協力的ではなかったというが、それでも知能指数は109(普通以上)だったという。
その他のテストの結果を見ても、殺人動機の点において鑑定人たちは首をかしげていた。

精神病的な兆候がある反応ではない。非常に深刻なコンプレックスがある反応でもない。性的な倒錯がある反応でもない。
いくら心理テストで異常性が認められなかったとしても、これだけのことを短期間のうちに平然とやってのけられるというのは 間違いなくサイコパスだと思うのだけれど…。
殺害の動機が見つからないのは存在しないから!?

高崎市の某工業団地造成用地での発掘(19歳女性・前橋市) 引用元:連合赤軍狼たちの時代
正常な人間であり、知能も人並み以上ある普通の人間ならば殺害の動機があってもいいはずなのだが、それが一向にみつからなかったのだ。

実兄(13歳年上)が憎かった。妻との生活を引き裂かれた。だから一番憎いのは兄だ。
大久保清は取り調べの中でこの供述を繰り返していたのだが、このことと8人の女性を殺害する動機はどう考えても結びつかない。
また警察の調書と鑑定人への供述が食い違う部分も多々あったため、鑑定人は「大久保清は本当のことを話していない」と感じており、また核心に迫れば迫るほど、大久保清の口は重くなったという。
徹底した秘密主義。しかしそもそも大久保清は一体「自分の何を守りたかったのか?」という部分が謎なのだ。
「動機が存在しない」という腑に落ちない謎が 今でもまだそこには残されたままである。
4人の犯罪心理学者をもってしても大久保清の深層を解明できず

被告人の特徴は著明な虚言癖であるが、その生活態度には表裏の二重性が明らかであり、それのみならず秘密主義、体面尊重主義が徹底的である。現在のように極刑を予想しなければならない段階にあっても、過去の性生活などには一指も触れられたくないのである。
4人の犯罪心理学者たちは「大久保清」という人間の「性格」は明らかにしたが、「動機」という深層を完全に解明することは、ついにできなかった。

ところでなぜ被告人は殺人などを反復したのであろうか。これは依然として謎である。
大久保清は1973年2月22日に死刑判決が確定し、1976年1月22日に死刑執行(41歳没)
大久保清に「蛇の方がお前よりもよほど温かい血が流れている」と言った捜査員がいたとか…。
「冷血」と呼ばれた男の殺意の真相は こうして闇の中に消えていったのである。
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