認知症と余命宣告が交錯!医療の意思確認の必要性を痛感した体験談

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【監修者】
オレンジ@終活ガイド

生前整理(身辺整理)という名の断捨離にいそしみつつ、アラカンでの熟年離婚を画策中のおひとりさま予備軍・関東在住50代女性が「オレンジログ」の中の人です。

終活に活かすため終活ガイド1級とホームヘルパー2級資格を取得。最期まで在宅で過ごしたいおひとりさまの痛くない死に方を模索・実践していきたいと考えています。

「事実は小説よりも奇なり」このブログでは多くの方の体験談をもとに、人生100年時代に備えた使える生活&終活のお役立ち情報を紹介していきます。

認知症と余命宣告が交錯!医療の意思確認の必要性を痛感した体験談

認知症 余命宣告

この体験は15年ほど前の出来事です。当時の僕の家族構成は ひいおばあちゃん、祖父、祖母、両親、僕、弟の7人でした。

祖父は当時65歳で兼業農家としてバリバリ働いており、タバコと酒を愛し、祖母いわく「酒を飲まなければいい男なのに」

ひいおばあちゃんは、祖父の母親で88歳のときに転倒事故によるけがで動けなくなり、そこから認知症が進行していきました。

父は祖父の跡を継ぐのがプレッシャーに感じていると子ども心にも感じられた、働き盛りの42歳でした。

ひいおばあちゃんが認知症に

認知症 余命宣告

このトラブルは僕が高校受験を控えた中3の冬に起こりました。トラブルとは「祖父の末期ガン」と「ひいおばあちゃんの認知症」が併発したことです。

ひいおばあちゃんは当時92歳。88歳くらいまでは喋りも上手くて、自分で元気に仕事をしたり活動できていましたが、89歳になってすぐのころ、庭先で転倒して足を骨折していました。

骨折による寝たきりの期間が長く、高齢者なので治るまでまでだいぶ時間がかかりました。

それでもゆっくりと回復していき、表向きは元通りの生活を送れるように見えていたのですが、動けなくなったことがきっかけで物忘れがどんどんひどくなっていきました。

あまりにも妄言がひどく、病院を受診すると医者は「認知症」と診断。

そこから定期的に ひいおばあちゃんは施設に入所することになりました。

祖父の末期がんと余命宣告

認知症 余命宣告

時を同じくして、祖父が体調不良を訴えました。

祖父はもともと酒飲みで、泥酔することが多くなってきていましたが、実は体調を崩していたのです。

祖父の勤める会社で実施された健康診断の結果が悪かったのに、病院に行って病気を宣告されるのが怖かったのか、放置していたことが後からわかりました。

いよいよ身体に異変を感じ病院に行ったところ、医者からは「大腸ガン」を宣告されました。

その後、何度か入退院を繰り返した後、僕の両親や祖母が医者に呼び出され、手術や治療をしてももはやガンがあちこちに転移してるから治らないと言われました。つまり「末期ガン」です。

両親や祖母は、この事実は祖父には知らせないことにしました。もちろん認知症のひいおばあちゃんにもです。

後にわかったことですが、祖父は自分がもう助からないことに気づいていたそうです。夜中に「死ぬのが怖い…」とうなされているのを祖母が聞いていました。

祖父の他界をひいおばあちゃんに伝えてもいいのか!?

認知症 余命宣告

ひいおばあちゃんが施設に出入りするようになって3年が経ったころに、恐れていたことが現実になりました。祖父の「最期の日」がやってきたのです。

僕や弟も病院に連れられ、祖父の最期の姿を目に焼き付けました。

祖父が亡くなり、家族全員がショックを受けているなか、1つの疑問か浮かびました。それは、祖父が亡くなったことをひいおばあちゃんに知らせるかです。

ひいおばあちゃんが自分より先に息子が亡くなったことを知れば、おかしくなつてしまうのではないか。

その頃のひいおばあちゃんは認知症がだいぶ進み、「あーーーー!あーーーー!」という奇声をあげるようになっていました。

親戚一同が集まってくるなかで、そんな状態のひいおばあちゃんを葬式に呼ぶのか?という問題に直面しました。

認知症 余命宣告

とはいえ、そもそもひいおばあちゃんは、祖父のことを憶えているのかも疑問でした。介護している祖母や母のことも「知らない人」と言うほどだったのです。

最終的にひいおばあちゃんに祖父の死を知らせること、そして葬式に呼ぶのか?の決定権は父の判断に委ねられることになりました。

当時、42歳だった僕の父は会社からリストラされ無職になっていました。

さらに「ひいおばあちゃんの認知症」「祖父の死」「息子の高校受験」を同時に抱えていた父は相当苦しかったと思います。

そして、父は悩みに悩んだ末に、ひいおばあちゃんには祖父の死を知らせないことにしました。理由としては、さらなるトラブルのタネになる可能性があったからです。

もしひいおばあちゃんが息子(=祖父)のことを憶えていたら、祖父の死をすぐに知らせなかったことに激昂するかもしれません。

「なぜ、死に目に合わせなかったのか!」と揉めそうですし、そのことが葬式の遅延にもつながりかねません。

ひいおばあちゃんには、祖父のほかに6人の子供がいましたから、父はそのおじ・おばたちに連絡をし、どう判断したらいいか?と相談していました。

そこで最終的に「ひいおばあちゃんには知らせないほうがいい。葬式にも呼ばないでおこう。」という結論に至ったことを後から聞きました。

認知症 余命宣告

そして祖父の葬式は、ひいおばあちゃんがいない中、無事に終わりました。

仏壇には、祖父の写真がひいおばあちゃんに見つからないように、正面から見えないような形で飾られ、座敷にたてかけてある先祖の遺影も、祖父のだけは隠してありました。

それからしばらく経って、ひいおばあちゃんが施設から家に帰ってきました。

写真や遺影は見えないようになってるので、当初はひいおばあちゃんは祖父がいないことを疑問に思ってませんでした。

しかしあるとき、

じじ、どこにいるの?

…と聞いてくることがありました(ひいおばあちゃんは祖父をじじと呼びます)

祖母や父は「病院にいるよ」とはぐらかしていましたが、その回数はどんどん増えていきました。

ですが、幸いというべきかなんというべきか・・・疑問に思っても小一時間で物事を忘れてしまうので バレることはありませんでした。

ですが一度だけ

じじはもう死んでるんだろ?わたしに隠してるんだろ!!

…と祖母や父に詰め寄った時はありましたが、この時もすぐ忘れるので揉めることはありませんでした。

それから2年ほどして、ひいおばあちゃんは亡くなりました。

終末期医療についての意思確認と情報共有は絶対必要!

認知症 余命宣告

これらの体験を振り返って今思うことは、家族が余命宣告をされたら 本人や周囲の人にその事実を知らせるかどうかを考えておくべきだということです。

人によっては、知らせてくれたほうが覚悟も決まるし、残された時間を大切にしようと思うかもしれませんし、知らない方がいいという人もいるでしょう。

これは本人にしかわからないことですから、これらのことを元気なうちに家族間で事前に話し合っておく必要性を痛感しました。

きちんとお互いの意思確認をしておくことで、我が家のようなトラブルは避けられます。

エンディングノートの活用や人生会議をやってみるなどして、本人にしかわからないデリケートな希望を真剣に考え、共有する機会を持つことが大切だと思いました。