毒親への復讐体験談!機能不全家族の母親に孫を会わせないと決めた話
30代女性 これは私の母親が孫に会いたい気持ちを伝えてくるのを完全拒絶した話です。
私の母は精神的なところで私の意見をことごとく否定してくる毒親でした。
しかし子供は母が毒親でも「好き」であることには変わらないので、常に自分の中に矛盾を抱えながら 私は成長しました。
「あんたには子育ては無理」と平然と言い放った毒親
その記憶の中で一番強烈だったのが、私が高校を卒業した頃に何気なく母に

私も将来子供産むのかな。
…と言った時、母からこうぶった切られたことです。

子供なんかやめときなさい!お金はかかるし、言う事は聞かないし、大変なことしかない。そもそもあんたには子育ては無理。
私は母のその言葉に対してこう思いました。

お母さんは私を産んだことも後悔しているんだ。大変な思いをして嫌だったってことだ。
それから数年後、私は20代後半で現在の夫と籍を入れたことを両親に事後報告しました。
私が「結婚したい人がいる」と母に言ったら また否定される…と思ったことからの事後報告です。
母はもちろん、子どもに無関心な態度しか示さなかった父もいい顔はしませんでしたが、のちに承諾してくれました。
結婚をすると「子供を持つのか持たないのか」という選択肢が出てきます。私が意を決して母に

私、子供が欲しいんだ。
…と言うと、やはり母は正面から猛反対しました。

はあ?子供が子供を産んでどうするの!お金はどうするの?仕事も出来なくなるんだよ?こっちは経済的に援助なんかしないからね!
再び私は絶望的な気持ちになりました。
心理カウンセリングで機能不全家族と言われて…
つらい気持ちから立ち直れなくなった私は、精神科の臨床心理士のカウンセリングを受けることにしました。
心理カウンセリングを10回受けて「自分が育った家庭が機能不全家族である」を知りました。
そしてそこではカウンセラーからきっぱりとこう言われました。

しばらく母親や実家と距離を置くことをおすすめします。
成人しても自分の中で尾を引いている「機能不全家族」のトラウマを克服するため、私はカウンセラーの言う通り実家から距離を置くことに決めました。
その後に私は第一子を妊娠出産しましたが、そのことすら母親には事後報告でした。
報告した時の母の反応は案の定、祝福どころか

あんなに言ったのにさ~。あんたはよくやるね。どうなってもこっちは知らないからね。
全否定と嫌味が返ってくることは初めから想定内でしたが、
…と改めて認識させられて つくづくがっかりしました。
親からの性的虐待や肉体的・言動的暴力、両親の不仲などによって、家庭が子どもにとってあるがままでいいという安心感のある居場所ではなくなってしまうような、子どもを育てる機能を果たさない家庭を「機能不全家族」といいます。また、たとえ外から見る限り健全な家庭でも、子どもに対し過剰に期待したり甘やかしたりする親や、仕事に依存する父親・夫に依存する母親なども、やはり「機能不全」ということになります。 引用元:山梨県医師会
毒親への復讐に孫を会わせないこと!私は自分の家庭を守ることに専念すればいい
それから2年後に私は第二子を出産しましたが、それも実家へは事後報告でした。
その頃には 母も年を重ねたせいか、それとも孫ができ始めている周囲の反応を見ていたせいなのかわかりませんが
…と言ってくるようになりました。
…と言い続けたことなど忘れたかのような態度です。
自分の都合と心変わりで「孫の顔が見たい」と言い出す身勝手な母にはふたたび辟易しました。
どんなに母が猫なで声を出そうと、私は臨床心理士から言われた言葉を守ろうと決意していました。

あなたはあなたの家庭を守っていくことに専念して、お母さんとは距離を置いて、心の安定をはかって。
そして母にこう言い放ちました。

子供産むなって言ったのお母さんでしょ?孫を連れて行っても面倒だし、うるさいし。会わない方がいいよ。それに写真を見たってさ、そもそも子ども嫌いなんだから かわいくないでしょ~。無理しておばあちゃんにならなくていいから。
すると母は

そんなの、昔の話でしょ?
と食い下がってきましたが、私は一貫して

今後も孫を会わせる気はないから。安心してね~(笑)
…と完全拒絶しています。これが私の毒親への報復です。
これ以上のことをする気はありませんし、私は私の家族と家庭を守っていくことに全力投球するのみです。
これからも自分の大事な子供達を毒親に会わせることは絶対したくない!と決めています。
