海洋散骨体験談!お骨を海にまく海洋葬に参列者として参加した話

東京湾の海洋散骨に参列した体験談

海洋散骨体験談

30代男性 私が経験したのはお世話になった恩師の海洋散骨でした。

もともとその方は国語教師で、ロマンチストかつ、少し変わった方でしたので、海洋散骨を選ばれたことについてはなるほどなぁという感じでした。

実際に参列した身としては、異色な海への散骨というお別れの仕方に少なからず違和感を感じていました。

しかし遺族の身からすれば、海を見ることによって いつでも亡くなった人を思い出すことができる、一種の前向きな感情が芽生えているようでありました。

ドラマの「世界の中心で愛を叫ぶ」を見ていたので、それに近い心境であったのかなぁと思いました。

お骨はお墓に埋葬するのが普通という考えの中で、私の常識を覆すこととなった良い思い出でした。

お墓に埋葬すると場所がどうしてもミニマムになってしまい、なかなか会いに行く機会はありませんが、海はどこに行っても見ることができるので、いつでもその人が見守ってくれる、どこに行ってもその人を思い出すことができる、といった良い点があると思いました。

その一方で海洋散骨を心良く思わない方もいるので、法的側面だけでなく、しっかりと周りの方への心配りもする必要があると思います。

自分自身の死はなかなか想像できませんが、海洋散骨については一つの候補として持つことができました。

海洋散骨したのは、東京湾の沖合いでした。

遺族と仲の良かった知り合いでクルーザーに乗り合わせて海洋散骨をされておりました。

東京湾の海洋散骨に参列した体験談

海洋散骨体験談

30代女性 もともと海が好きで、旅が好きだった故人の意向もあり、海への散骨を行うこととなりました。

海洋散骨というのがどんな感じなのか全く分からず、悲しさももちろんある一方で、海へ出るドキドキ感を楽しませてもらいました。

悲しい涙のお葬式とはちがう、思い出の一つになるようなご葬儀となりました。

そんな葬儀を希望した故人は自分の要望を叶えつつ、遺された遺族や友人を楽しませてくれるエンターテイナーのような故人らしさも感じられてとても良かったです。

この海洋散骨に参列し、その後亡くなられた方の一人が海洋葬に感銘を受け、自然葬を希望して 実際に海洋散骨でお式をあげられていました。

こうして新しい葬儀を受け入れ、実施することで 亡くなられた後もほかの人に影響を与えられる人でいられることが素晴らしいと思いました。

故人はもちろんのこと、希望を実現させる寛大なご遺族も素晴らしいです。

いまの時代は終活という言葉があるほど、死が悲しいものだけでは無いイメージに変わってきていることも良いことだと思います。

海洋葬や自然葬を希望することも、希望を叶える事も どちらも勇気の要ることかと思いますが、自分の最期の最後はしっかり希望を叶えることはとても良いと思います。

また希望を叶えてくれる葬儀社をあらかじめ選定しておくことも大切かと思います。

この海洋葬では東京湾で海洋散骨しました。

フェリーで出港し「最期の旅立ちを皆様が一緒に…」という葬儀社のアナウンスが今も印象的に残っています。

千葉県で海洋散骨に参列した体験談

海洋散骨体験談

40代男性 親戚の葬儀で参列したのですが 初めての海洋散骨という形式で 個人的には非常に良い体験となりましたし 強く記憶に残る葬儀となりました。

海洋散骨を体験して良いと感じたのは普通の葬儀とは違い、細かな形態が無いせいで かなりシンプルに事が進んでスムーズだったことです。

しかし一方で悪いと感じた点は 船である程度沖まで出ての海洋散骨でしたから、人によっては船酔いするという事でした。

もちろん個人差はあり 船に強い方はなんともないのですが、私みたいに船に弱い人間はさほど時間がかからない時点で船酔いします。

私の場合は船酔いしてしまった為に、失礼ながらも海洋散骨の際に内心早く地上に戻りたい···という気持ちが強く 海にお骨をまくに集中出来ませんでした。

海洋散骨に対して個人的に思う事は 何よりも故人が希望していた「死んだらお骨は海に撒いてほしい」という願いが叶って、故人は心から喜んでいるだろうなということ。

喪主に海洋散骨の費用はいくら掛かるの?とは失礼なので聞けませんでしたが 想像する上では 大して費用は掛からないだろうと思いましたし、それはそれで良いなと感じました。

ですが···微妙に感じた事は、お墓に故人のお骨は無いので 墓参りは散骨した海まで行かなければならない。親戚の私からすると手間がちょっと···と思いました。

その時の海洋散骨は 千葉県の館山港沖合い2キロ程度行った太平洋海上でした。

 

1994年10月に海洋散骨に参列した体験談

海洋散骨体験談

30代男性 親戚の知り合いという縁遠い葬儀、私はまだ小学生ほどだったので、誰が亡くなったのか詳細は覚えてませんが、このときに海洋散骨に参列させていただきました。

その時にはぼんやりと、海にお骨をまくということ自体に対して 珍しいことをするものだと思いました。

ただ今になって思うのは、自然葬というのは珍しいものではなく、漫画やドラマでもたまに見かけるくらいにポピュラーなものであるという認識です。

自然に還ること、海や山と溶け込んでいくことは とても自然な動物としての還りかたなのかなと思います。

人には心がありますから、思い出としてお骨が残っていてほしい、残したい気持ちもとてもよくわかります。

けれども、海や大地をお墓にすることは 広い意味では 亡き人の遺骨を通して海や大地に安心感を抱くきっかけのひとつにもなるのだと思っています。

いつでもどこでも、空があり大地がある。祈れば届く。お墓参りが気軽にいつでもできるという気持ちも湧きます。

線香をあげれば届くような、優しい気持ちになるものです。

空も大地も木も水も、自然物はどこにでもあるからこそ、日常で故人を思い出すことが多くなると思いますし、自然葬でもし仮に故人を忘れてしまっても、それはそれで良いと思います。

その時の海洋散骨は高台からお骨をまくというもので、お骨はさらさらと風に乗り、自然へと還っていきました。