東京湾の海洋散骨に参列した30代男性の体験談【2018年5月に参列者として】
私が経験したのはお世話になった恩師の海洋散骨でした。
もともとその方は国語教師で、ロマンチストかつ、少し変わった方でしたので、海洋散骨を選ばれたことについてはなるほどなぁという感じでした。
実際に参列した身としては、異色な海への散骨というお別れの仕方に少なからず違和感を感じていましたが、遺族の身からすれば、海を見ることによっていつでも亡くなった人を思い出すことができるという前向きな感情が芽生えているようでありました。
ドラマの世界の中心で愛を叫ぶを見ていたので、それに近い心境であったのかなぁと思いました。
お骨はお墓に埋葬するのが普通という考えの中で、私の常識を覆すこととなった良い思い出でした。
お墓に埋葬すると場所がどうしてもミニマムになってしまい、なかなか会いに行く機会はありませんが、海はどこに行っても見ることができるので、いつでもその人が見守ってくれる、どこに行ってもその人を思い出すことができる、といった良い点があると思いました。
一方で海洋散骨を心良く思わない方もいらっしゃるので、法的側面だけでなく、しっかりと周りの方への心配りもする必要があると思います。
自分自身の死はなかなか想像できませんが、海洋散骨については一つの候補として持つことができました。
海洋散骨したのは、東京湾の沖合いでした。
遺族と仲の良かった知り合いでクルーザーに乗り合わせて海洋散骨をされておりました。
東京湾の海洋散骨に参列した30代女性の体験談【2014年9月に参列者として】
もともと海が好きで、旅が好きだった故人の意向もあり、海への散骨を行うこととなりました。
海洋散骨というのがどんな感じなのか全く分からず、悲しさももちろんありましたが、海へ出るドキドキ感を楽しませてもらいました。
悲しい涙なみだのお葬式とはちがう、思い出の一つになるようなご葬儀となりました。
そんな葬儀を希望した故人は自分の要望を叶えつつ、遺された遺族や友人を楽しませてくれるエンターテイナーのような故人らしさも感じられてとても良かったです。
この海洋散骨に参列し、その後亡くなられた方の一人が海洋葬に感銘を受け、自然葬を希望して 実際に海洋散骨でお式をあげられていました。
こうして新しい葬儀を受け入れ、実施することで 亡くなられた後もほかの人に影響を与えられる人でいられることが素晴らしいと思いました。
故人はもちろんのこと、希望を実現させる寛大なご遺族も素晴らしいです。
いまの時代は終活という言葉があるほど、死が悲しいものだけでは無いイメージに変わってきていることも良いことだと思います。
海洋葬や自然葬を希望することも、希望を叶える事も どちらも勇気の要ることかと思いますが、自分の最期の最後はしっかり希望を叶えることはとても良いと思います。
また希望を叶えてくれる葬儀社をあらかじめ選定しておくことも大切かと思います。
この海洋葬では東京湾で海洋散骨しました。
フェリーで出港し「最期の旅立ちを皆様が一緒に…」という葬儀社のアナウンスが今も印象的に残っています。
千葉県の海洋散骨に参列した50代女性の体験談【2007年11月に喪主の家族として】
私は一人娘で、結婚して地方に嫁いでおり、2007年5月に父、同年8月に母を亡くしました。
両親はお墓を持っていませんでした。金銭的な事もあったかもしれませんが、おそらく私が結婚してからのお墓の管理等が大変だとの気遣いもあったのだと思います。
葬儀は樹木葬にすることも考えましたが、生前、両親は海洋散骨して欲しいと言っていましたし、海はつながっているのでいつでも会いに行ける(私の住んでいる所も海が近い)こともあり、二人一緒に海洋散骨にしました。
2007年当時は今ほど自然葬が知られていなかったのですが、ネットで業者を探して、地元船橋港から出港しました。定員10人位で屋根のついている船でした。
海洋散骨する際、お花と一緒に粉砕したお骨をまき、汽笛を鳴らして皆で黙祷しました。
船上で写真を撮ってもらい小さなアルバムを作って頂きましたし、親族だけのお別れはアットホームで良かったと思います。
ただひとつ後悔してるのは、お骨を少し手元にもらっておきたかったなということ。当時はそこまで考えが及ばなかったのです。
最近はお葬式もこじんまりとした家族葬が増えてきてたり 多様化していますから、お墓を持たない供養が今後はどんどん増えてくるかもしれません。
ただ、田舎では「自然葬」というスタイルは なかなか理解してもらえない感もあります。
私も自分も死んだら海洋散骨してほしいと子供達にお願いしていますので、もっと自然葬が一般的になる世の中になって欲しいと思っています。
両親の海洋葬は千葉県船橋市船橋港から出港し、海洋散骨可能海域でお骨をまきました。
費用は二人で30万円くらいだったと思います。
喪主の家族として海洋散骨に参列した40代女性の体験談【2018年3月】
海洋葬は父の生前からのお願いごとでした。
実際の葬儀の内容や海洋散骨をするかは、喪主である母が選ぶことができましたが、家族全員一致で故人の遺志を尊重し、海洋散骨を選びました。
父は父子家庭で、しかも宗教にはまった祖父にろくに育ててもらえず、とても苦労して大きくなりましたから自分は無宗教を貫き通してきました。
お墓も仏壇も絶対にいらない!絶対にそんなところに埋葬しないでくれ!と常日頃から言っていました。
母は田舎者なので、お墓があるのが当たり前だと最初は思っていたそうですが、50年も父からその話を聞かされてきたから納得したようです。
また、父は家族にも生前から「お墓は買わない、骨壷すらいらない、葬儀もせず、火葬だけにするように」と何度も言っていました。
実際には家族葬とまではいかなくても 火葬前に棺に各々入れたいものを持ち寄り、話しかけ、最期のお別れをしました。
海洋散骨することに決めてあると火葬場には伝えてあったので、お骨が残らないように灰になるまで燃やしてもらいましたから、お骨を拾ったりはしませんでした。
形式上、火葬場では灰を骨壷に入れねばならなかったため、骨壷は用意しました。
海洋散骨する業者はそれとはまた別の業者なので、日時や場所が確定するまでお骨は預かってもらいましたが、家族には灰を小瓶に入れて取り分けることができるということで どうしたいかをそれぞれが選択しました。
私は海に散骨するのには賛成でしたが、ほんの少しの遺骨(灰)を小瓶に入れて取り分けてもらうことにも賛成で、今も手元に置いています。
最近では故人の遺灰をペンダントに入れたりして常に肌見放さず持ち歩いている…という人もいるそうですが、うちの家族はそこまではしておらず 手元に置いているだけです。
海洋散骨の様子は浜辺から見守っていました。
船が三回その場で旋回した時にお骨を撒いているから…と聞いていたので、見ていてすぐにわかりました。
海洋散骨の場所も、父から指定されていた場所です。
海洋葬だったので家族には墓参りや法事はありませんが、自分がお参りしたいときにその浜辺に行くと、そこから見える海洋に父が眠っているのだな、と感じることができ、安心できます。
このときの業者名は忘れてしまいましたが、火葬場で紹介された業者に海洋散骨をお願いしました。
海洋散骨自体の費用は 確か15万円だったと思います。
父の海洋散骨では故人の希望した場所を指定して、綿密に打ち合わせして その場所に撒いてもらうことができましたので満足しています。

千葉県で海洋散骨に参列した40代男性の体験談【2019年4月に参列者として】
親戚の葬儀で参列したのですが 初めての海洋散骨という形式で 個人的には非常に良い体験となりましたし 強く記憶に残る葬儀となりました。
海洋散骨を体験して良いと感じたのは普通の葬儀とは違い、細かな形態が無いせいで かなりシンプルに事が進んでスムーズだったことです。
しかし一方で悪いと感じた点は 船である程度沖まで出ての海洋散骨でしたから、人によっては船酔いするという事でした。
もちろん個人差はあり 船に強い方はなんともないのですが、私みたいに船に弱い人間はさほど時間がかからない時点で船酔いします。
私の場合は船酔いしてしまった為に、失礼ながらも海洋散骨の際に内心早く地上に戻りたい···という気持ちが強く 海にお骨をまくに集中出来ませんでした。
海洋散骨に対して個人的に思う事は 何よりも故人が希望していた「死んだらお骨は海に撒いてほしい」という願いが叶って、故人は心から喜んでいるだろうなということ。
喪主に海洋散骨の費用はいくら掛かるの?とは失礼なので聞けませんでしたが 想像する上では 大して費用は掛からないだろうと思いましたし、それはそれで良いなと感じました。
ですが···微妙に感じた事は、お墓に故人のお骨は無いので 墓参りは散骨した海まで行かなければならない。親戚の私からすると手間がちょっと···と思いました。
その時の海洋散骨は 千葉県の館山港沖合い2キロ程度行った太平洋海上でした。
兵庫県の海洋散骨に参列した30代女性の体験談【2018年11月に喪主の家族として】
それまでの私はお骨を海にまくという発想には至りませんでしたが、故人は生前から「自分にもしものことが起こった場合は、全ての遺骨でなくてもいいから海に散骨してほしい」と家族に話していたそうです。
もともと故人は自分の名前に入っている「海」にまつわる漢字の影響なのか、誰から見てもすぐわかるくらいの大の海好きでした。
また、狭い範囲での行動よりも、のびのびと自分の好きなように行動する性格だったことから、遺族の満場一致で海洋散骨を行うことに決めました。
海洋散骨を行って一番よかった点は、故人の希望に応えることができたことです。
どんなに小さなことでも、故人が「こうしてほしい」と言っていたことを最期に叶えてあげられたことは良かったと思いました。
また、ずっと同じ場所にいることになるお墓に納骨するよりも、海洋散骨をすることで広い海の中で多くの美しい景色を見ることができるのではないかとも思いました。
海洋散骨には賛否両論あるようですが、それを「重い」ことだと捉えずに、生前に本人が希望していたのであれば 希望通りに行ってもいいのではないかと思います。
また、私の家族のように全ての遺骨を海に散骨するのではなく、遺骨の一部を手元に残したうえで海洋散骨するといった方法でも良いと思いました。
故人が生前に希望していた海である、兵庫県の日本海側の海(山陰海岸)で 一部の遺骨を海洋散骨を行いました。
海洋散骨に参列した30代男性の体験談【1994年10月】
親戚の知り合いという縁遠い葬儀、私はまだ小学生ほどだったので、誰が亡くなったのか詳細は覚えてませんが、このときに海洋散骨に参列させていただきました。
その時にはぼんやりと、海にお骨をまくということ自体に対して 珍しいことをするものだと思いました。
ただ今になって思うのは、自然葬というのは珍しいものではなく、漫画やドラマでもたまに見かけるくらいにポピュラーなものであるという認識です。
自然に還ること、海や山と溶け込んでいくことは とても自然な動物としての還りかたなのかなと思います。
人には心がありますから、思い出としてお骨が残っていてほしい、残したい気持ちもとてもよくわかります。
けれども、海や大地をお墓にすることは 広い意味では 亡き人の遺骨を通して海や大地に安心感を抱くきっかけのひとつにもなるのだと思っています。
いつでもどこでも、空があり大地がある。祈れば届く。お墓参りが気軽にいつでもできるという気持ちも湧きます。線香をあげれば届くような、優しい気持ちになるものです。
空も大地も木も水も、自然物はどこにでもあるからこそ、日常で故人を思い出すことが多くなると思いますし、自然葬でもし仮に故人を忘れてしまっても、それはそれで良いと思います。
その時の海洋散骨は高台からお骨をまくというもので、お骨はさらさらと風に乗り、自然へと還っていきました。
海洋散骨に喪主の家族として参列した30代女性の体験談【2009年2月】
夫の母は海に近い生まれで「死んだら海に映る星になりたい。だから、海に骨を撒いて欲しい」との希望があり、死後に海洋散骨としました。
私たちは日本海側の故人の実家近くの岬から海洋散骨しました。
義母が亡くなった後の虚な感情のまま 私は海へ行ったのですが、彼女のお骨をまく瞬間、なんとなく心の中がスーッと軽くなりました。
それがなぜかはわからないのですが、海が 私と彼女との間のいい思い出も悪い思い出も精算してくれたというか、フラットな感情で故人を見られるようになったのです。
ああ、あのときこうだったから義母は面白くなかったんだろうな、だから欲が強くなったり、思い通りにしないと済まないようになっていて あんなことを言ったのかも・・・など、なんとなく私自身が義母にわだかまりを持っていたことに対して 折り合いをつけて諦められるようになったような気分です。
夫は母親の悪いところを見ずに「あの人はいい人だったよ」と言っていたのですが、海洋散骨の時には私に対して「苦労かけたな」とねぎらいの言葉をかけてくれました。
母なる地球・自然に返すという儀式をみずから行うことで、なにかしら気持ちが吹っ切れやすいのかもしれません。
故人に依存的になってしまっているかもと考えている方、お別れのつらさを引きずっている方、耐えられないかもと心配する気持ちが強い方には 海洋散骨はおすすめなのかもしれません。
