千葉県の海洋散骨に参列した50代女性の体験談【2007年11月に喪主の家族として】
私は一人娘で、結婚して地方に嫁いでおり、2007年5月に父、同年8月に母を亡くしました。
両親はお墓を持っていませんでした。金銭的な事もあったかもしれませんが、おそらく私が結婚してからのお墓の管理等が大変だとの気遣いもあったのだと思います。
葬儀は樹木葬にすることも考えましたが、生前、両親は海洋散骨して欲しいと言っていましたし、海はつながっているのでいつでも会いに行ける(私の住んでいる所も海が近い)こともあり、二人一緒に海洋散骨にしました。
2007年当時は今ほど自然葬が知られていなかったのですが、ネットで業者を探して、地元船橋港から出港しました。定員10人位で屋根のついている船でした。
海洋散骨する際、お花と一緒に粉砕したお骨をまき、汽笛を鳴らして皆で黙祷しました。
船上で写真を撮ってもらい小さなアルバムを作って頂きましたし、親族だけのお別れはアットホームで良かったと思います。
ただひとつ後悔してるのは、お骨を少し手元にもらっておきたかったなということ。当時はそこまで考えが及ばなかったのです。
最近はお葬式もこじんまりとした家族葬が増えてきてたり 多様化していますから、お墓を持たない供養が今後はどんどん増えてくるかもしれません。
ただ、田舎では「自然葬」というスタイルは なかなか理解してもらえない感もあります。
私も自分も死んだら海洋散骨してほしいと子供達にお願いしていますので、もっと自然葬が一般的になる世の中になって欲しいと思っています。
両親の海洋葬は千葉県船橋市船橋港から出港し、海洋散骨可能海域でお骨をまきました。
費用は二人で30万円くらいだったと思います。
兵庫県の海洋散骨に参列した30代女性の体験談【2018年11月に喪主の家族として】
それまでの私はお骨を海にまくという発想には至りませんでしたが、故人は生前から「自分にもしものことが起こった場合は、全ての遺骨でなくてもいいから海に散骨してほしい」と家族に話していたそうです。
もともと故人は自分の名前に入っている「海」にまつわる漢字の影響なのか、誰から見てもすぐわかるくらいの大の海好きでした。
また、狭い範囲での行動よりも、のびのびと自分の好きなように行動する性格だったことから、遺族の満場一致で海洋散骨を行うことに決めました。
海洋散骨を行って一番よかった点は、故人の希望に応えることができたことです。
どんなに小さなことでも、故人が「こうしてほしい」と言っていたことを最期に叶えてあげられたことは良かったと思いました。
また、ずっと同じ場所にいることになるお墓に納骨するよりも、海洋散骨をすることで広い海の中で多くの美しい景色を見ることができるのではないかとも思いました。
海洋散骨には賛否両論あるようですが、それを「重い」ことだと捉えずに、生前に本人が希望していたのであれば 希望通りに行ってもいいのではないかと思います。
また、私の家族のように全ての遺骨を海に散骨するのではなく、遺骨の一部を手元に残したうえで海洋散骨するといった方法でも良いと思いました。
故人が生前に希望していた海である、兵庫県の日本海側の海(山陰海岸)で 一部の遺骨を海洋散骨を行いました。
日本海側の海洋散骨に参列した30代女性の体験談【2009年2月に喪主の家族として】
夫の母は海に近い生まれで「死んだら海に映る星になりたい。だから、海に骨を撒いて欲しい」との希望があり、死後に海洋散骨としました。
私たちは日本海側の故人の実家近くの岬から海洋散骨しました。
義母が亡くなった後の虚な感情のまま 私は海へ行ったのですが、彼女のお骨をまく瞬間、なんとなく心の中がスーッと軽くなりました。
それがなぜかはわからないのですが、海が 私と彼女との間のいい思い出も悪い思い出も精算してくれたというか、フラットな感情で故人を見られるようになったのです。
ああ、あのときこうだったから義母は面白くなかったんだろうな、だから欲が強くなったり、思い通りにしないと済まないようになっていて あんなことを言ったのかも・・・など、なんとなく私自身が義母にわだかまりを持っていたことに対して 折り合いをつけて諦められるようになったような気分です。
夫は母親の悪いところを見ずに「あの人はいい人だったよ」と言っていたのですが、海洋散骨の時には私に対して「苦労かけたな」とねぎらいの言葉をかけてくれました。
母なる地球・自然に返すという儀式をみずから行うことで、なにかしら気持ちが吹っ切れやすいのかもしれません。
故人に依存的になってしまっているかもと考えている方、お別れのつらさを引きずっている方、耐えられないかもと心配する気持ちが強い方には 海洋散骨はおすすめなのかもしれません。