壮絶すぎる遺品整理で20キロ減のダイエット【50代女性の体験談】
生前整理と遺品整理を兼ねた片付けを実家で行いました。家人の入院を機に実家に戻り、正月から約半年で家の片づけ、掃除です。
実家の片づけは「親兄弟の納得の元で行う」という前提で行いましたから、「手を付けるな」と言われたところは放置して、祖母(故人)の持ち物、4畳半、収納付き、タンスあり空間からスタートしました。
一日6時間ほど、この一部屋で一か月ほどかかりました(45ℓゴミ袋60袋)
その後はまだ存命の家族のスペース、8部屋、1日6時間労働で きっかり半年かかりました。
昼間は入院している家族の見舞いとつきそい(老々家族だったので見舞いにも同行が必要)を行っていたため、片づけは早朝、夜とに限られていました。
夏休みには子供ら(実家にとっては孫たち)が遊びに来る予定で、そのとき「この家いや」と言われたくないばかりに、むきになって片づけましたが、何度も各部屋で遭難しそうになりました。
入り組んだ家具、その通路に積まれたもの、賞味期限が切れたビール、62個あったやかん、51個の魔法瓶(昭和のポット)
押入れの奥から出てくる羽織袴、どうやって使うかわからない白金カイロ、ゴミ袋3袋に詰め込まれた粗品ストッキング。
食器棚の上に積まれた様々な箱、色の変わったタオル。
もうどうしたらいいの!!!というレベルの戦いでした。
夏には子供も来る、その前に虫がでてくるかもしれないから なんとか涼しいうちに、と一日7袋のゴミ袋を出しました。
自治体で出せるゴミの量は決まっていたので、毎回小出しで出す日々でした。
今回は何袋出せなかった、と自分のブログにして公表したいくらいのレベルです。
ちなみにゴミ袋出しは1月から始めて 年末にやっと最後の一つ、という配分となりました。
変色したタオルは雑巾にしようと多少置いていたのですが、故人の部屋から大正時代の「ぼろ布」と書いた段ボール箱が3箱、机の下の奥の奥から出てきたときに一斉廃棄を決めました。
いつかは使うと引っ越しに次ぐ引っ越しのたびに連れてこられたと思われる「ぼろ布」段ボール箱が3箱。これは捨てられる、これはもうやるまい、と変色タオルは捨てました。
故人が洋裁を行う人で、自分の服は自分で作る人だったため、布が山ほどありました。
これは捨てるの忍びなく、ケアマネさんと相談の上、市の関連のアソシエーションへ寄付。
ここで引き取っていってもらえないと困るので、箱の一番上に可愛い系の華やかで状態のいいものを仕込むという技に出てしまいました。
もちろん変色したり、これは?という布は自力で廃棄をしておきました。
努力の甲斐もあり、これらの布はバンいっぱい、助手席にまで積まれるほどの量が引き取られていきました。
故人は和裁もやる人で、反物も大量に残されていました。これもおそらく幾度かにわたる引っ越しからついてきた代物。
反物はとっておきたかったのですが、かといって素人がハサミを入れるのも恐れ多く、こちらは買い取り業者に任せました。
着物と共にケアマネさんが探した業者に買い取ってもらうことができました。大した金額にはならなかったですが。
古着は何度かNPOに出しましたが、その後コロナで輸出できない状態になったので、コロナ後は申し訳ないけれど一般ごみの廃棄となりました。
片付けた遺品やごみの行方の内訳は 自力廃棄85% 市への寄付5% 買い取り業者5% NPO5%
後から「あれも捨てなければよかった」というものもありましたが、あまりにも物が溢れだしていたため、「あきらめ」のひとことで片付けていくしかありませんでした。
この遺品整理と生前整理の騒動で 私は20キロ痩せました。
断捨離はダイエットになるというのは本当なのだと身をもって知りました。
祖父母と親で2回の業者による遺品整理を体験【40代女性の遺品整理の体験談】
祖父母の遺品整理と親の遺品整理を2回体験しました。2回とも遺品整理業者に依頼しました。
祖父母の時は、家中に大量のものが溢れかえっていました。
大切な思い出のものや高価なものを遺品整理業者に持っていかれては困るので、まずは私達親族がチェックしなくてはなりません。親族で集まり、必要なものを持ち帰ることを最初に行いました。
遺品整理業者に依頼して、廃棄やリサイクルにまわしてもらうのですが、不要な大型家具等の取り壊しも同時にやってもらいました。
業者の方は体格の良い男性が3人〜4人来て、早朝から夜まで作業してもらいましたが、全ての作業が終わるまで数日かかりました。
夏の暑い盛りの大掛かりな作業だったので、体調を崩す作業員の方もいました。
最初は依頼を迷いましたが、私達親族だけではどうにもならないくらいの作業量だったので、業者の方に依頼して効率的にやってもらえたことは良かったと思っています。
親のときも、祖父母のときよりは少ないものの 結構な量の遺品がありました。
親のときに関しては、私は親を失ったことに対する辛さがあまりにも酷かったので、遺品整理をする精神的余裕も体力もありませんでした。
おそらく業者に依頼していなかったら、遺品をずっとそのままにしてしまっていたと思います。
業者にお願いして一緒に遺品整理したその日はとてもつらかったのですが、いつかはやらなくてはいけないものなので、思い切って依頼して良かったと思っています。
親しい存在の方が亡くなることは考えたくないし、自分が死ぬこともみんな考えたくないことと思います。
しかし、遺された大切な人のことを考えると、今流行りの「終活」をする(してもらう)ことは大切です。
普段から物を整理すること、大切なものの在処を子孫に教えておくことは、お互いのために必要だと感じます。
とはいえ、人間はいつ死ぬかわかりません。遺品の整理に困ったのなら、遺品整理業者にお願いすると効率的な作業ができます。
つらい中で、家族だけで作業すると精神的肉体的にも参ってしまいますから。
プロに遺品整理を任せて罪悪感が雲散霧消【40代男性の遺品整理の体験談】
都内在住・40代の男性です。高校を卒業を機に東京に上京してから25年が経過します。上京してからは両親とは疎遠になり、年に一度帰れば良いぐらいの親不孝ものです。
私には兄と姉がおり、長女である姉が実家に残り、両親の面倒をみていました。私は姉に親の面倒を任せっきり。
2019年の秋。それまで元気だった父親が他界し、久しぶりに帰郷すると、けっこうな量の父の遺品が部屋中に散乱していました。
それを見た私は、「なんでこんなに散らかっているの?」と、思わず言ってしまいました。そんな偉そうなことを言える立場ではないのに…
母と姉に事情を聞いたところ、父が非常に頑固者で自分の持ち物に対する執着が強く、片付けすることを断固拒絶したとのことで、母と姉が何を言っても 全く手をつけられなかったそうです。
早速、3人で父の遺品整理を始めたら、懐かしいものがいっぱい出てくるんです。
私達家族が笑顔で一緒に映っている写真、子供の頃両親と一緒に遊んだおもちゃ、生前父が大好きだった切手や古銭のコレクション。
あれから何十年経ったでしょうか?あんなに疎遠だったのに、遠い昔の記憶が昨日のことの様に鮮明に思い出されました。
なんか、胸からじぃ〜んと込み上げてくるものがあって、あの頃の大切な想い出。父の遺品整理をしていると自然と涙が溢れてきました。
でも、哀愁にばかり浸ってもいられません。いかんせん、家の中が酷く散らかっていたので、すぐにでも片付けていかなければいけません。
しかし、とりあえず手を付けてみたものの 途中で自力での遺品整理は無理だと判断し、少し後ろめたい気持ちもありましたが、思い切って遺品整理業者さんに遺品整理を依頼しました。
自分の親の遺品の後片付けなんて自分でしろ!
そんな囁きが頭をグルグルと駆け巡り、業者さんに依頼した時は、とっても情けないことをしているような罪悪感がありましたが、実際に業者さんにお会いすると、そんなモヤモヤした胸の気持ちが全部晴れ渡りました。
なぜ、遺品整理をするに至ったか?どうしてこんなになるまで放置していたのか?・・・といった、こちらが最も気になっていたことに対する質問はなく、むしろ、労いの言葉を投げかけてくれました。その言葉はとっても泣きたくなるぐらい優しい声で。
遺品への扱いも、まるでイチバン大切なモノを扱うように、丁寧に慎重にやってくれているのを見て、安心感が持てました。
その姿をみて「これなら天国の父も怒っていないだろうな」と思ったのと同時に、自分への罪悪感もどんどん消えていきました。
遺品整理が終わったときには、自分の胸に詰まったモヤモヤと大切な想い出、そして心と部屋の整理が同時にできました。
