平穏死は本人と家族が選んだ最適解!終末期の在宅医療と看取りの話
これは2019年9月に終末期患者を在宅医療に引き継いだ話です。私自身は病院看護師であり、在宅看護師と当問題に遭遇しました。
在宅医療に移行したのは80代男性の人工呼吸器装着中の終末期患者です。妻は80代で足を悪くしていました。
終末期患者を家に連れて帰りたい家族の意向に沿う方向へ
80代の男性患者Aさんが治療効果が得られず終末期に移行していました。徐々に呼吸状態が悪化して人工呼吸器装着段階へと至ったものの まだ患者には意識があり 本人の意向も確認できる状態でした。
Aさんはこの状態で帰宅するのは不安があるため このまま当院での治療の継続を希望されていました。
Aさんの妻も高齢であり 医療機器の取り扱いは困難であると判断されたので 緩和ケア病棟への移動の話をAさん本人と家族に持ちかけたのです。
その中で緩和ケア病棟に移ることを反対したのはAさんの妻でした。

どうしても夫を自宅で 私の手で面倒を見たい。医療機器の管理も大丈夫です。
…と主張されたのです。それを聞いたAさん本人も

自宅に帰れるなら帰りたい。
…と自宅退院へ前向きになっため、Aさんの家族に必要な技術の説明を行いました。
在宅用の医療機器は簡易的になっているとはいえ やることは山積しています。人工呼吸器の取り扱いや吸引の手技、食事も摂れないため中心静脈からの輸液投与、緊急時の対応方法など 覚えることは多岐に渡ります。
連日Aさんの奥さんに来院していただいたのですが、奥さんは足が不自由であるため それだけで既に疲れが見えていました。
また 現時点では Aさん本人も少しは動けるものの 状態悪化時には体動困難となることが予測されました。そういった場合のオムツの交換や体拭きなどは体力的にも80代の奥さんが行うことは現実的ではなく、訪問看護、訪問診療、訪問介護の全て導入の上で在宅に帰す方針としました。
状態悪化の早さを考慮して重めの介護認定をもらう
しかしそれに対してはまず認定調査を実施して 介護区分の査定を依頼します。当時のAさんには理解力もあり 多少は動かせる体もあったため 「要介護」も軽めの判定しか出ず、在宅医療サービスをフルに導入するには金銭的負担が大きいものでした。
要介護認定が出た後 Aさんを地元の役所につないで ケアマネージャーの選定を依頼しました。そこから介護認定調査の実施や訪問看護ステーションとのやり取りが始まったのです。
ステーション決定後は直接病院に訪問看護師とケアマネージャーに来院していただき、Aさんの現状確認や奥さんの健康状態や理解力・技術の習得段階に関しての査定を共に行いました。
また認定調査の際も立ち会いを依頼し、今後の状態悪化の早さを主張して 少し重めの「要介護3」を取得することに成功しました。それでも利用できるサービス時間が少ないため、訪問看護師に自宅調査を依頼して在宅環境の確認を実施しました。
さらに奥さんの手技取得までに時間がかかることを見込み、その間に介護ベッドやポータブルトイレ、手すりの調整を行い、できるだけ介護負担を減らせるように調整していただきました。
排泄や清潔などの日常の部分をできる限り奥さんに実施して頂き、医療行為を訪問看護師に優先してもらうため 点滴の終了時間や速度調整を実施。
奥さんには痰詰まりなどの急変時の対応を優先して覚えていただきました。
【平穏死】在宅看護と人工呼吸器管理の考え方や最適解は人それぞれ
その後にAさんが実際に退院して帰宅する日がやってきました。介護タクシーの手配や 当日すぐに訪問看護師が来訪できるように調整したうえで Aさんは退院していきました。
しばらくしてから訪問看護師からAさんについての連絡をいただきました。初期は完璧な在宅調整が行えており 不慣れな中でも奥さんがAさんの日常生活を支えられていたとのことです。
しかし数日でAさんの状態が悪くなり、

人工呼吸器は苦しいから外したい。
…との訴えが多くなっていたそうです。
看護師が見ればそこで鎮静剤を増量して苦しさを緩和するところですが、在宅であるが故に 奥さんが「苦しいならば…」と人工呼吸器を外したままにする時間が増えていたそうです。
そして10日ほどでAさんをお看取りをすることになりました。それでも奥さんとしては

努力して自宅に連れて帰れてよかった。
…と感じているとの報告もあったということでした。
「救急車を呼ばない」という選択をした家族
【関連記事】私のクリニックの外来に通院されていた97歳のおばあちゃんが、朝、家族が様子を見に行くと息はしているけれど返事をしない、ということがありました。家族からクリニックに電話をもらい、急遽私が往診に行くと、おばあちゃんはまったく意識がなく手足も動かず、うんともすんとも言わないままベッドに横になっていて、呼吸だけしていました。その様子から、おそらく重症の脳梗塞だろうと判断しました。
状況を説明し「どうしますか?今から救急車を呼んで病院に行きますか?」と訊ねると、家族はその場で話し合い、全員一致でこう結論を出しました。「もういいです。このまま何もしないで家で診てください」
救急車を呼ばないということは、検査を行わず、詳しい診断はわからないままです。それでも急変とその先にあるだろう死を受け入れ、自然に任せる決断を家族全員でされたのです。
意識もなく、手足も動かさないわけですから、食事を摂ることも水分を摂ることもできません。もし飲まず食わずであれば1日くらいで亡くなるのではないか、と思うでしょう。ところが人間というのは不思議なもので、飲まず食わずでも1週間ほど生きるのです。
実際、その方は点滴も何もしないまま、ちょうど1週間生きていました。意識はなく、手足も動かないのですが、息はしていて、おしっこも出ていて、まるで眠っているかのような最期の一週間でした。家族や親せき、近所の人など、いろいろな人が入れ替わり立ち替わりおばあちゃんの様子を見に来ては、みなさん不思議がっていました。
そうして1週間が経った頃に、本当に静かにすっと旅立たれました。死亡診断書の死因の欄には「脳梗塞」と書かせていただきました。
引用元:119番と平穏死~「理想の最期」を家族と叶える
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