発達障害を認めない父親を納得させて子どもが障害者雇用に就いた話
これは2018年6月~2019年3月にあった、息子の障害を認めなかった父親が納得して ようやく息子が障害者雇用に就けた話です。
登場する人物
Aさん:70代、男性、相談窓口に来た人
Bさん:40代、男性、Aさんの息子
Cさん:40代、女性、精神保健福祉士、私の先輩
Dさん:60代、男性、障害者サロンの運営者
私:30代、男性、相談窓口担当(社会福祉士)
発達障害を認めようとはしない父親
相談窓口に来たAさん(70代男性)は

息子が引きこもりがちで仕事もしていない。何か障害があるらしいと言っているが、そんなことはない。
といった旨を話されました。
Cさん(40代女性・精神保健福祉士)にも窓口に同席してもらい、

その「障害」とは何ですか?
…とたずねるも

わからない。本人がそう言ってるだけで、私は障害があるなんて思っていない。

息子さん(Bさん:40代男性)本人に話を聴かせていただくことは可能ですか?

それじゃあ、引っ張り出してくる。

無理やりでは話がしづらいと思うので、差し支えなければご自宅へ訪問しますが。
…と提案したところ了承を得られました。
「障害者手帳なんて取ったら家系に傷がつく」という思い込み
後日にCさんと私がAさん・Bさんの自宅を訪問して Bさんと直接話をすることができました。Bさんからは

専門学校を卒業してから就職したものの、長続きせず転職も何回もしてはすぐに辞めるの繰り返しだった。最初はうつ病かと思ったが、病院に行ったら「発達障害」だと言われた。
…といった旨が話されました。
父親のAさんは息子のBさんが話すごとに

根性がないからだ!甘えているからだ!住ませて食わせてやっているのに何が不満なのか!?
…と口をはさみこんでは 不服そうな様子を見せていました。
その時点でBさんが発達障害と診断されてから既に半年以上が経っていました。その間にBさんなりに調べて

精神障害者保健福祉手帳を取って 障害者雇用で働きたい。
…という明確な目標を持っていました。
しかしAさんは

障害者手帳なんか取ると戸籍に載って家系に傷がつく。そんなことは許さない!
…とかたくなに反対していました。
障害者サロンへの参加を渋々認めた父親
Bさんには「精神障害者保健福祉手帳を取得して障害者雇用で働きたい」という具体的で明確な目標があったので、私たちはそれを実現するための作戦を組み立てることにしました。
まずBさんは長い期間ひきこもりで社会との交流がない状態だったため、外出の機会を持つことを提案しました。
そこで、障害者サロンを運営するDさんにこの件を伝えたところ、

障害者の中でも能力が高い類いになると思うから、運営側として活動してくれるとありがたい。
…との返事がありました。それをBさんに伝えたところ

自分は行ってみたいと思うけれど、父親が何と言うかが不安。
せっかくBさんが社会参加に向けて動こうとしているのを 父親のAさんのかたくなな考え方で阻まれている側面があったため、Aさんへの障害理解を促すための作戦を考えることにしました。
そこでDさんから

Bさんがお父さんと一緒にサロンに来ればいい。僕から話をしてみるよ。
…という提案があったのでAさんに

息子さんを何とかサロンにだけは行かせてあげてくれませんか。
…と私から強く懇願したところ、

福祉士の人からそんなにお願いされては仕方がない。
…とAさんは渋々了承しました。
「形はどうあれ、社会復帰したのなら良し」という納得
Aさんが初めて相談窓口に来てから約4ヶ月後に ようやく初めてサロンに行くという新たな展開を迎えることができました。
サロンでは身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者などが障害の種別関係なく集まっており、非常に明るい雰囲気にBさんは

自分が思っていたイメージと違う。皆が楽しそうだ。
…と言っていました。
そして障害者サロンの運営者であるDさんとBさん本人が話をしたところ、Bさんがすぐに障害を理解したわけではなかったのですが、

サロンを通じて外出する機会を持つことは大事なことなのだ。
…と分かった様子でした。
さらにCさんと私からは、精神保健福祉士・社会福祉士の立場として 次の3点を伝えました。
障害者手帳を取ると戸籍に載ることはない。それは誤解であること
障害者雇用の求人情報
父親のAさんは これらをすぐ理解できたわけではありませんでしたが、息子のBさんの意思を認めつつある様子は見られました。
そしてBさんがサロン通いをするようになって約3ヶ月後の2019年1月、ようやくBさんは障碍者手帳を取得することができ、さらにBさん自らハローワークに出向いて障害者雇用の求人情報を探し始めました。
そして2019年3月には内定を取ることができ、Bさんは障害者雇用で事務員として働くことが決定しました。
そのころにはAさんからは

形はどうあれ、社会復帰してくれたのならばよい。
と言っていただくことができました。
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