毒親への殺意がわいたとき心の病とトラウマに気づき毒母と絶縁した話
これは2019年8月に私(当時39歳女性)が母親に暴力をふるった時に自分の心の病に気づいた話です。
私は母親と仲が悪く、幼少期のころに手をつないだ記憶もなければ、一緒に遊んだ記憶もありません。いつも大声で怒鳴られ、小言を日々言われたり紙に書いたものを部屋の前に貼られる、部屋の扉そのものを取りはずされるなどの虐待もあり、気を許して安心できる家庭に育った感はゼロでした。
【第一の人生】私は「いらない子」
父親が中学1年の時に亡くなって母子家庭になると お酒を飲んだときに私にだけ

気に食わなかったら家から出ていけ!
…と言いました。
弟にはそういった言動はなく、思いかえせば亡くなった父も 弟には自転車などを買うにもかなり高級な物を与えていました。家計は自営業をしていたため、裕福な方だったのです。しかし私に対しては学用品を買うときでさえ しぶしぶ文句を言いながら 最低限しか出してくれませんでした。
「私はいらない子」というあからさまな親の態度も、私の認知のゆがみを生むきっかけになったのかもしれません。
【第二の人生】ギャンブル依存症の夫との結婚
私の人格は、相当歪みきっていたと思います。世の中「お金」がすべてで、裏切らない唯一のものと考えていました。そんな心が廃れている私でも自分の居場所が欲しかったのです。前の夫にお金を渡してでも自分の居場所を作ろうとしたことが私の第二の人生の悲劇の始まりでもあります。
前の夫は、ギャンブル依存症。気づくと私と私のキャッシュカードが消えていたり、財布の中身が空っぽになっていたりしました。そんな相手だったにもかかわらず自分の居場所が欲しかった私は結婚し、妊娠・堕胎を3回も繰り返すことになりました。
1度目は出産したかったので12週を超えた頃に母親に「実は・・・」と話をしに行きましたが、母からは

お金を出してやるから堕ろしなさい。
…といわれ、入院して堕胎手術を受け、役所から振り込まれた死産手当金35万円を、前の夫が全部ギャンブルに使ったというのを体調が悪い中で聞き、

もう死にたい。
…と思いました。この後も前の夫の為に消費者金融からお金を借りては渡し、借金の返済は私がする。これが、私の20代前半の記憶です。
そんな私がこれまでに幸せを感じたのは、お腹に宿った4人目(今の娘)を確認した時です。しかし出産し子育てをしていく中で、私にはまったくといっていいほど子供を遊ぶ知恵がないことに気づきました。
そもそもリカちゃん人形で遊ぶとかおままごとで遊ぶ、そんなささいなことすら経験がないので分からないのです。感情表現なども苦手で無表情なことが多く、人から声を掛けてもらうことも少なく、友達も以前からできませんでした。笑顔の作り方も知らないのです。
そして、人に頼ることや自分の弱みを人に打ち明けることもできませんでした。
義理の両親からも 私の学歴が中卒だったため「バカな嫁」と罵られ、あげくの果てに

お金をキャッシングからおろしてこい!
…と言われ、

私の存在はなんなのか!?
…と思いました。

子供は●●家の子、あなただけ、いなくなりなさい。
…とまで言われ、義理の母にキレて暴力を振ろうとしたこともあります。感情のコントロールができない・・・私がこれを自分の病気だと知るのは、もう少し後になってからでした。
【第三の人生】離婚と傷害事件と絶縁と
その後、前の夫からの暴力が始まって別居することになり、審判離婚を経て、離婚が成立しました。
19歳で付き合いはじめて結婚し、離婚したのが38歳。とても波乱万丈な人生で、ここから第三の人生を実家で再スタートしようと考えていたのですが、これも失敗に終わります。
母親と仲が悪いことは相変わらずで、実家では普通に安心して暮らすことができませんでした。心の底から常にSOSを発している感じで、家の中にいるのに心がざわめき、まともに眠ることができません。
母の小言を言い続ける、張り紙に文句…は昔と変わらず、年をとっても母親は何も変わっていませんでした。そんな中で唯一 私の希望となったのは、母親が私に酔った時に私に言った

看護師になりたいなら、学費全部出してあげる。
…という言葉で、私はそれを信じていました。しかし、いざ願書を出すことを母に打ち明けた時

そんなことは言ってない!

母の言葉を信じてはいけなかった…
それが私の安易な考えであり、母からの援助は幻となったことを知ると同時に 私の中には猛烈な怒りと憎しみが芽生えたのです。それは今までに感じたことがないほどの怒りの強さでした。本気で「母を殺そう!」と思っていました。

私の苦しさと生きづらさと「生きている意味がない」と感じてしまう私の人生は、全部お前のせいだ!!
絶叫した私は、母親にこぶしを振りかざしていました。そして警察に通報され、逮捕。母からは

もう二度と帰ってくるなー!!
…と言われ、100万円の現金を渡され、現在に至るまで絶縁状態です。
【第四の人生】精神科の治療から心の再生へ
その後、精神科を受診することが決まって治療が始まった私に 気分循環性障害、うつ病、アルコール依存症という診断がおりました。
気分循環性障害では、比較的軽度で短期間の高揚(軽躁状態)と軽度で短期間の悲しみ(うつ状態)が交互にみられます。気分循環性障害は双極性障害と似ていますが、それほど重度ではありません。気持ちの高揚や悲しみの程度は比較的軽く、典型的には数日間しか続きませんが、不規則な間隔でかなり頻繁に再発します。この病気が悪化して双極性障害に発展したり、極端な気分の変動が続いたりすることもあります。仕事や学業の成績にむらがある、頻繁に転居する、失恋や離婚を繰り返す、アルコールや薬物を乱用するなど、種々の問題の原因にもなりえます。
引用元:MSDマニュアル家庭版
薬物治療としてSSRI、抗不安薬、鉄剤、睡眠導入剤、下剤を利用し、約1か月半の入院生活を終え、現在は地元を離れ、一人で生活しています。
断酒会に参加したときには

人に弱みを話しても大丈夫な居場所を見つけた!全てを肯定して聞いてくれる場所を得られた!
…と思いましたが、現在はその会も卒業し、困った症状もなく過ごすことができるようになりました。
自分では病院の薬物療法がよかったわけではない…と思っています。自分の認知のゆがみをしっかりと受け止め、自分はこれでいい。これ以上でもこれ以下でもなく、今の自分は今の形なんだと、思えるようになったことが 私にとってはいちばん大事なことだと思うからです。
私の心の傷は普通の人よりもかなり多く深いので、完治は無理だと思いますが、

そういう部分も全部丸ごと私自身。昔があって今がある。これからどう変わるかは、今の自分が決める。
そう思って、日々穏やかに過ごす事ができるようになりました。
自分の心の違和感に素直になり、嫌なものからは離れる。これが私には必要なことでした。そんな風に自分を大切に過ごしていたら、娘が私の所に帰ってきてくれました。

娘が 私の幸せを感じる瞬間や「命」をもう一度 蘇らせてくれたんだ。
…と感謝して日々過ごしています。
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