毒親への殺意で傷害事件から絶縁に至ったアダルトチルドレンの体験談


毒親への殺意で傷害事件から絶縁に至ったアダルトチルドレンの体験談

毒親殺意

30代女性 これは私が母親への傷害事件をきっかけに自分の心の病に気づいた話です。

私は子供の頃から母親と仲が良くありませんでした。現在は絶縁状態です。

幼少期のころに母と手をつないだ記憶すらないのですが、弟のことは母はとてもかわいがっていた記憶はあります。

母からはいつも大声で怒鳴られたり虐待を受けたりと、気を許して安心できる家庭ではありませんでした。

【第一の人生】「いらない子」と言われて育った子供時代

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父親が中学1年の時に亡くなって母子家庭になると お酒を飲んだときに 母は私にだけ

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気に食わなかったら、この家から出ていけ!

…と言うようになりました。

弟にはそういった言動は一切ありませんでした。

思いかえせば亡くなった父も弟には自転車などを買うにもかなり高級な物を与えていましたし、子どもに格差をつける両親、共に毒親だったのだと感じます。

家は自営業をしていたため裕福な方だったのですが、私に対しては学用品を買うときでさえ しぶしぶ文句を言いながら 最低限しか出してくれませんでした。

「あんたはいらない子」というあからさまな親の態度も、私の認知のゆがみを生むきっかけになりました。

【第二の人生】ギャンブル依存症の元夫との結婚時代

毒親殺意

そんな育てられ方をした私の人格は相当歪みきっていたと思います。

世の中「お金」がすべてで、裏切らない唯一のものと考えていました。

そんな心が廃れている私でも 自分の居場所が欲しかったのです。

前の夫に お金を渡してでも自分の居場所を作ろうとしたことが 私の第二の人生の悲劇の始まりでした。

前の夫は、ギャンブル依存症で、気づくと私と私のキャッシュカードが消えていたり、財布の中身が空っぽになっていたりしました。

そんな相手だったにもかかわらず「自分の居場所が欲しい」という理由だけで私は結婚し、妊娠・堕胎を3回繰り返すことになりました。

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1度目の妊娠の時はどうしても出産したかったので、12週を超えた頃に母親に相談に行ったのですが、母からは

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お金を出してやるから堕ろしなさい。

…と言われ、私は堕胎手術を受けました。

そのときに役所から振り込まれた死産手当金35万円を、元夫が全部ギャンブルに使ったことを聞きました。

この後も元夫の為に消費者金融からお金を借りては渡し、借金の返済は私がするを繰り返していました。

これが、私の20代前半の記憶です。

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そんな私がこれまでの人生の中で幸せを感じたのは、お腹に宿った4人目(今の娘)を確認した時です。

しかし出産し子育てをしていく中で、私にはまったくといっていいほど 子供を遊ぶ知恵がないことに気づきました。

そもそもリカちゃん人形で遊ぶとか おままごとで遊ぶとか、そんなささいな経験すらないので 子どもの遊び方が分からないのです。

感情表現も苦手で無表情だから人から声を掛けてもらうことも少なく、友達もおらず、そもそも笑顔の作り方を知りませんでした。

そんな風なので人に頼ることや自分の弱みを人に打ち明けることもできませんでした。

私の学歴が中卒だったため 義理の両親からは「バカな嫁」と罵られ、

お金をキャッシングからおろしてこい!

…と言われ、

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私の存在って一体なんなのだろう!?

…と思いながら暮らしていました。義母からは

孫は○○家の子なんだから、お前だけいなくなればいい!

…とまで言われたときには 義母に手を上げそうになったこともありました。

感情のコントロールができない…私がこれを自分の病気だと知るのは、もう少し後になってからでした。

【第三の人生】ギャンブル夫との離婚と毒母への傷害事件と絶縁

毒親殺意

その後、元夫からの暴力が始まったことを機に別居することになり、調停を経て離婚が成立し、娘と離れ離れになりました。

19歳で元夫と付き合いはじめて結婚し、離婚したのが38歳。

ここからは新しい第三の人生を再スタートしようと考えていたのですが、これも失敗に終わります。

母親と私の仲が悪いことは相変わらずで、実家に戻っても普通に安心して暮らすことができませんでした。

毒母のそばにいるだけで 心の底から無意識のうちにSOSを発している感じがして常に心がざわめき、まともに睡眠をとることもできません。

毒母のモラハラは子供のころと変わっていませんでした。

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そんな中で唯一の希望がありました。酔った母親が私に

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准看護師になりたいなら、学費を全部出してあげる。

…と言って、私はそれを信じ切っていたのです。

しかし、いざ願書を出すことを母に伝えると 母から信じられない言葉が。

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そんなことは一言も言ってない!!お金なんて出さないよ!

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え!?あの言葉を信じてはいけなかったの?

母からの援助が幻となったことを知ると同時に 私の中には猛烈な怒りと憎しみと殺意が芽生えました。

それは今までに感じたことがないほどの怒りの強さで、あの時の私は本気で「母を殺す!」と思っていました。

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私の苦しい人生は、全部お前のせいだ!許さない!!

そう絶叫した私は、母親にこぶしを振りかざしていました。

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警察に通報された私は逮捕されました。母からは

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もう二度と帰ってくるな!!

…と言われ、現在に至るまで絶縁状態です。

【第四の人生】精神科の治療から心の再生へ

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その後、精神科で治療が始まった私に双極性障害とアルコール依存症の診断がおり、約1か月半の入院生活を終えて、現在は地元を離れ一人で生活しています。

アルコールを断つために断酒会に参加したときには

人に弱みを話しても大丈夫な居場所を見つけた!全てを肯定して聞いてくれる場所を得られた。

…と思いましたが、現在はその会を卒業しても困った症状もなく過ごすことができるようになりました。

私の心の病みが寛解に向かったのは 病院の薬物療法に効果があったわけではない…と思っています。

自分の認知のゆがみをしっかりと受け止めて

自分はこれでいい。これ以上でもこれ以下でもなく、今のありのままでいい。

…と認められることが 私にとってはいちばん大事なことだと思うからです。

自分を受け止める。これからどう変わるかは今の自分が決めること

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私の心の傷は普通の人よりもかなり多く深いので、おそらく心の病の完治は無理だと思いますが、

それも全部丸ごと自分。昔があって今がある。これからどう変わるかは、今の自分が決める。

そう思って、日々穏やかに過ごす事ができるようになりました。

自分の心の違和感に素直になり、嫌なものからは離れる…これが私にはいちばん必要なことでした。

そんな風に自分を大切にして過ごすことができるようになったら、娘が私の所に帰ってきてくれました。

娘が 私の幸せを感じる瞬間や「命」をもう一度 蘇らせてくれたんだ。

…と感謝して日々過ごしています。

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