毒親の結婚反対から破談になり気分変調症を発症した体験談
30代女性 私の毒親は74歳の父親です。
父は過保護で過干渉。独特の威圧感を持ち、言葉もきつい。
昔は少々の物理的暴力行為もありましたが、何より言葉の暴力がひどかったです。
そしてそれが子供の心を傷つけることを未だに理解出来ないでいます。
子どもの頃から私は

うちの父親は厳しい。
…と感じていました。
私は5歳くらいの時から、父親の顔色を常にうかがって、なるべく叱られないようにしようと努めていた記憶があります。
毒親という言葉は最近はよく使われるようになりましたが、そういう言葉が出回るずっと前からうちの父は問題があると私はずっと思っていました。
それに私がいつ頃気付いたかははっきりしませんが、たぶんもう30年以上はそう思って怯えて暮らしています。
毒親に結婚を反対され別れてから気分変調症を発症した
毒父の思い出で一番つらかったのは、31歳の時に付き合っていた男性との交際を反対されたことです。
彼とは交際が1年続いていましたし お互いに結婚をしてもいいと思っていたので、そういう男性がいることを父に告げたら 4時間以上説教されたました。
くどくどと相手について尋問され、少しでも話に矛盾を感じるや否や、重箱の隅をつつきまくるようにして厳しい口調で責められました。
挙句、私は

分かった。もう諦めるよ。
…と言って泣き出してしまいました。
私が折れるしかありませんでした。
数か月後にもう一度父親の説得を試みたものの、やはり同じような感じで責められました。
こんな調子では彼の家族も私のことを快く迎え入れてはくれないと思い、結婚はあきらめようと思いました。
しかし実際にはすぐに別れることは難しく、以後板挟み状態で2年悩み苦しみ続け、精神的にボロボロになりました。
ようやく別れる踏ん切りがついたのは、彼が40歳になる誕生日の数日前です。

もうこれ以上彼を巻き込んではいけない。
…と自分にきつく言い聞かせ 「40歳」という年齢の数字の力を借りて別れることができ、ようやく苦しい気持ちが解放されたと思いました。
しかし次第にメンタルが不安定になってきて後に気分変調症(持続性抑うつ障害)を後に発症し、今も治療を続けています。
さらに「家で良い子でいよう」と努め過ぎて、家の外ではうまく人間関係を築けず、対人恐怖症にもなりました。
気分変調症とは、持続性抑うつ障害とも呼ばれており、DSM-5では「抑うつ障害群」としてカテゴリ―されている疾患です。うつ病の診断に該当する抑うつエピソードを満たさない、軽度な抑うつ気分や、意欲や気力の低下が慢性的に継続し、2年間以上症状が続いていることが特徴です。また、診断時以前には、うつ病のエピソードを満たす時期も過去にあったかもしれないことを許容していますが、診断時にはうつ病や双極性障害などを満たすのであれば、「うつ病」「双極性障害」と診断されるべきであり、「気分変調症」とは診断されません。
また、「気分変調症」は、典型的な「うつ病」と違って周囲の人から「ぼうっとしていることが多い」「表情がなく思考が止まっているようにみえる」などど指摘されたり、心配されたりする状態というよりも、ご自身で「毎日が何となく辛くて怠い感じが続いている」「毎日がつまらなくて、憂うつだ」といった主観的な表現がとても多く、そのような気持ちから社会生活へも支障を来している状態という点は特徴かもしれません。
引用元:ひだまりこころクリニック
毒親介護への葛藤!私が引き受けると決めているけれど…
私は3人姉弟の一番上だったので、一番厳しく育てられたような気がします。
完璧主義の父親は 私のテスト答案が80点未満だと怒りました。
がんばっても自分に自信が持てず、劣等感の塊で 他人と自分を始終比べてしまうし、他人の顔色をうかがってびくびくしてしまうところがあります。
妹や弟は、結婚や進学を機に家を出ることが出来ましたし、精神病を発することもありませんでしたが、私のみ実家を出られず、現在も父と母と3人で同居していて、メンタルを病んでいます。
一見すると平和に普通に暮らしているように見えるかもしれませんが、本当は毎日不安で仕方ないです。
将来、毒親に介護が必要になった時は、葛藤しながらも私は毒親介護をすると思います。
もう自分は女として幸せになることは諦めていますし、妹夫婦や弟夫婦を毒親から守るためにも、長子として出来る限り、面倒を見ようと覚悟はしています。
でも慢性の精神病を抱える身では無理は出来ないことも事実なので、介護をすべて自力でやるのは不可能です。
どこかで妥協して介護保険をうまく利用して、行政など専門機関に相談せざるを得ないとも思っています。


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