毒親から離れる方法!メンタルを患う私が大阪で一人暮らしを始めた話
これは2016年5月にあった、精神障害で障害年金受給、通院中だった私(当時24歳)でも一人で転居できた話です。
私は学生時代のいじめが原因で不登校、引きこもりになり、高校は通信制の学校を卒業しました。その後、私は毒親に精神科に連れていかれて そううつ病と診断されたため、精神科に通院しながら、お仕事はアルバイト程度に働いていました。
実家にいるときには 毒親や病院の自主治医の先生とは打ち解けて話せる間柄ではありませんでした。親は私を病院に連れて行くだけで、心に寄り添ってくれることがなかったです。
そのせいもあってか「病状がひどい」と診断され、強制的に病院へ入院させられたり 大量の薬を処方されたりしていました。
「任意入院」という名の強制入院に自分では納得できていませんでしたが、未成年の私には決定権もなく、保護者や主治医の決定に従うほかありませんでした。
しかし、何か月も自由に外に出られない入退院を繰り返し、効果があるのかも分からない大量の薬を飲み続けるだけの毎日は 本当にとても辛かったです。
大阪の友人を頼って一人で家を出た
追い込まれた私は、地元には頼れる人がいなかったため、大阪の友人(当時28歳)を頼って家を一人で飛びだしました。
とはいっても大阪でも急に受診や薬をやめるのはいけないと思い(正直病院へ行くのは怖かったですが)予約を取って最寄りの精神科へ。この日は先生と軽く話をし、お薬をいただいて帰りました。
友人にいつまでも頼れないことはわかっていました。
精神障害年金をもらっていて一人暮らしをしていいのか?そもそもきっちりフルタイムで働いていいのか?急に大阪に出てきてどうやって生活を始めたらいいのか?わからないことだらけで一人でとても悩んでいました。
このままではいけないことはわかっていましたが、もう親元には帰りたくありませんでした。
精神科の先生がいろいろな専門家を紹介してくれた
後日、勇気をもって 新しい精神科の先生にすべての事情を話して相談しました。するとソーシャルワーカーを紹介してもらうことができ、その方が福祉の手続きや制度など教えてくださいました。
教わった通りに役所にいくと 職員さんも丁寧に説明してくださり、大阪への引っ越しと福祉の手続きでしなくてはいけないことを教って 手続きもすべて処理することができました。そのおかげで大阪でも変わらず通院や福祉制度、障害年金を受給できました。
お仕事は病院を通してハローワークを紹介してもらうことができ、色んな求人を閲覧しました。先生と相談しながら自分にもできそうなお仕事から始めることになりました。その際、就職先へ障害の有無の報告をどうするかも自分で決められるようでした。
相談すれば、その時その人に必要な専門家を紹介してもらえることもわかりました。
「普通の人と変わらないように生きていいんだよ」
ここまでいろいろやってみて

私でも案外 なんでもできる自由な人間なんだ。
…と思えてきたのです。

まずは友人の家から仕事や通院をしてみて、順調に過ごせたら一人暮らしもしていいんじゃないかな。
…と主治医の先生からも提案があり、嬉しかったです。
障害年金受給で負い目を感じている私は

社会復帰を目指している人に対しての支援なのだから大丈夫。普通の人と変わらないように生きていいんだよ。
…という先生の言葉に救われました。
私が受診した大阪の精神科の先生は、私のその時の状況に寄り添って相談に乗ってくれるとても親身な先生で、この時初めてセカンドオピニオンの重要性に気づかされました。
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