毒親と距離を置くことで自己肯定感が高まった!毒親脱出体験談
20代女性 これは精神疾患により障害年金受給で通院中だった私でも一人暮らしを始められた話です。
私は学生時代のいじめが原因で不登校と引きこもりになりました。
毒親に精神科に連れていかれた私は双極性障害と診断されたため、通院しながらアルバイトをしていました。
実家にいるときには 毒親や病院の自主治医の先生と 打ち解けて話せる間柄ではありませんでした。
特に毒親は私を病院に連れて行くだけで心に寄り添ってくれることが一度もなく、「病状がひどい」という毒親の訴えから強制的に病院へ入院させられたり 大量の薬を処方されたりしていました。
「任意入院」という名の強制入院に自分では納得できていませんでしたが、当時未成年だった私には拒否権も決定権はなく、保護者や主治医の命令に従うほかありませんでした。
しかし、何か月も自由に外に出られない入退院を繰り返し、効果があるのかも分からない大量の薬を飲み続けるだけの毎日は 本当にとても辛かったです。
毒親の元で精神的に追い込まれた私は、地元には頼れる人がいなかったため、大阪の友人(当時28歳)を頼って家を一人で飛びだしました。
とはいっても大阪で急に治療をやめるのはいけないと思い、予約を取って最寄りの精神科へ行くことにしました。この日は先生と軽く話をし、お薬をいただいて帰りました。
友人にいつまでも頼れないことはわかっていましたが、精神障害年金をもらっている私が一人暮らしをしていいのか?
そもそもこんな状態で、きっちりフルタイムで働いていいのか?急に大阪に出てきて、どうやって生活を始めたらいいのか?
わからないことだらけで、将来について一人で悩んでいました。
このままではいけないことはわかっていましたが、もう毒親の元には帰りたくありませんでした。
後日、勇気をもって 新しい精神科の先生にすべての事情を話して相談してみました。
すると先生はソーシャルワーカーを紹介してくださり、その方が私に福祉の手続きや制度など教えてくれました。
教わった通りに役所にいくと 職員さんも丁寧に説明してくださり、大阪への引っ越しと福祉の手続きでしなくてはいけないことを教えてもらえて、手続きもすべて処理することができました。
そのおかげで大阪に移り住んでも以前と変わらずに通院や福祉制度、障害年金を受給することができました。
お仕事は病院を通してハローワークを紹介してもらい、そこで色んな求人を閲覧し、先生と相談しながら、自分にもできそうなお仕事から始めることになりました。
就職先へ障害の有無の報告をどうするかも自分で決められるということで、相談さえすれば、その時その人に必要な専門家を紹介してもらえることもわかりました。
ここまでいろいろやってみて

私は自己肯定感が低くて、今まで自分が何もできないと思い込んでいた。でもそんなことはなかった。案外なんでもできる自由な人間なんだ。
…と思えてきたのです。

まずは友人の家から仕事や通院をしてみて、順調に過ごせたら一人暮らしもしていいんじゃないかな。
…と先生からも提案してもらった時は嬉しかったです。
また、障害年金を受給していることに負い目を感じている私でしたが、

これは社会復帰を目指している人に対しての支援なのだから大丈夫。負い目を感じることなんてないよ。普通の人と変わらないように生きていいんだよ。
…という先生の言葉に救われました。
私が受診した大阪の精神科の先生は、私のその時の状況に寄り添って相談に乗ってくれるすばらしい先生でした。
そしてこの時に初めてセカンドオピニオンの重要性にも気づかされました。

