没イチ(ぼついち)とは配偶者と死別しておひとりさまになった人を指します。
死別のおひとりさまの末路体験談!終活しないで没イチになった話
40代男性 私は実家を離れて、マイカーで1時間程度のところに住んでいます。
実家はかなりの田舎…それは立地だけでなく風習なども含めてで、自宅で葬儀を執り行うことが今でも当たり前になっている地域です。
そしてこの話に出てくるのは私の両親と、実家のそばに住む私の母親のいとこにあたるおじさんとおばさんです。おばさんは生まれつき足が不自由です。
そんな彼らは子宝には恵まれなかったものの、おばさんの兄弟姉妹5人の世話やその甥っ子姪っ子の面倒などをみてあげていた、人間性がすばらしい人たちでした。
おじさんの急逝でお金の問題と「兄弟は他人の始まり」が浮き彫りになって
事の発端はそのおじさんが77歳で亡くなったことです。本当に突然に亡くなってしまいました。
これにはさすがに私も驚きました。つい1週間前には いっしょに稲刈りをしていたくらいですから。そしてそこからさまざまな問題が浮き彫りになりました。
最初に持ち上がった問題は おじさんの葬儀をどう執り行うか?
おじさんおばさんと私の両親が生前から非常に親しかったことや地域の事情などもよくわかっていたので葬儀の取り仕切りは問題なかったのですが、別にまずい問題が発覚しました。彼らにはほとんど預貯金がなかったのです。
このご時世でも田舎の葬儀は昔ながらのやり方を踏襲することが多いので とにかくお金がかかります。お坊さんの人数次第でその格が決まるとか節目節目の行事など、そのたびに出費がかさみます。
喪主は形式上はおばさんですが、実質的に何もできない状態です。結局お金のことは私の両親が100万円を一旦建て替えて その場をしのぎました。
おじさんおばさんの兄妹姉妹は5人いますし、幼いころから面倒を見てもらっていた甥っ子、姪っ子もいます。
本来はそういった血縁者が何とかすべきところですが、みなお互いを見合うだけで動こうとはせず、特に葬儀の支払いについてはだんまりのままでした。
それどころか彼らは葬儀についても「完全に地域の風習がわからないから」と言って知らんぷりを決め込んでいました。
これには私たち家族もさすがに閉口しましたが、なんとなくこうなることはうすうすわかっていたので、
…ということにしました。
終活を怠ってきたツケと「仮面親族」が表面化して
葬儀が終わりホッとしたのもつ束の間、さらにまたそこから新たな別の問題の浮上しました。今後のおばさんの生活や世話をどうするのか?です。
おばさんは生まれつき足が不自由なため松葉杖を使っていましたが、年齢を経るとともにほとんど歩くことも難しい状態になり、買い物に行くことすら難しくなっていました。
そういう状態で夫婦二人きりで田舎の屋敷に住んでいたものですから、おじさんが亡くなってさらに日常生活そのものが難しくなりました。
それに加えて 一人暮らしになったおばさんの生活に手を差し伸べようとする親戚が一人も現れず、伯母さんの生活はさらに不自由を強いられることとなりました。
困ったのは買い物に行けないだけではありません。おばさんは頭も口もしっかりしているのですが、なかなか親族たちに言いたいことが言えないのが 私から見てさらに困ったところでした。

おばさんは昔から彼らの面倒をずいぶん見てきたんだよ。彼らに対してもう少し言いたいことを言ったり、やってほしいことをお願いしてもいいんじゃないの?
…とこちらからも促したのですが

とにかく…人に迷惑をかけたくないから。
…の一点張りです。我が家が立て替えた葬儀代については

葬儀で建て替えてもらったお金は 年金から少しずつ返します。
…と言ってくれているのでその点は全く問題ないし、おばさんの生活費も何とかなります。
しかしあの体の状態では一人きりでは普通に生活ができない…これが大きな現実問題として残りました。
こればかりは、いくら近所に住んでいるからといって我が家がすべてどうこうするという問題ではなく、おばさんの兄弟姉妹でどうするかをきちんと話し合って決めてもらわねばなりません。
亡くなったおじさんが

自分はまだまだ大丈夫だから、妻(おばさん)の面倒も当面心配する必要ない。
…と高をくくっていたこともあり、万一の時の備えを全く準備できていなかったツケが表面化したのです。
車や飛行機事故にでも遭わない限り 夫婦2人一緒に亡くなることはないでしょう。だからいずれはどちらかが相方を見送ることになり、残された方は「おひとりさま」になります。
しかしほとんどの人はその現実を見ようとはしないし、だから相方が没イチになった場合に備える「おひとりさま終活」をやっている人も少ないのです。
おばさんたちもその典型例でした。おじさんの何の根拠もない「自分はまだまだ大丈夫」が仇になってしまったのです。
おばさんに内緒で親族会議を招集
大きな屋敷をだれかに相続してもらい、おばさんは施設に入るという手もあるのですが、おばさん自身にはそんな選択肢がなかったことも悩みの種でした。
おばさんが困っていても知らんぷりするような人たちですから、おばさんが誰かと同居するなどあり得ません。
これにはさすがに事態を傍観していた我が家も困りました。
そして出過ぎた真似かもしれませんが、このままではさらに大きな問題に発展しかねないので、我が家が発起人となって血縁者に招集をかけて、親族会議を開いてもらうことにしました。
これは「人に迷惑を掛けたくない」と遠慮がちなおばさんには内緒での動きでした。
おばさんの兄弟姉妹は全員が どちらかというと生活に窮する感じでした。
しかし だからといって 今までおばさんたちから物心両面でもお世話になってきたくせに おばさんが困っているのを知りながらあの無関心さには驚くばかりです。
そもそも、葬儀代を建替えた我が家に対して彼らは当たり前のごとくふるまっていましたし、感謝の言葉さえもありませんでした。
さらにおばさんのこれからの生活についても「自分が黙っていさえすれば、誰かが何とかしてくれるだろう」としか考えておらず、何を言っても責任のなすり合いしかしない姿を見て 本当に腹立たしかったです。
そんな人たちに対して 親族会議の招集をかけた我が家からひとつの提案をしました。

屋敷の処分をした費用と、兄弟姉妹から少しずつ費用を出し合ってもらい、おばさんに施設に入ってもらうような段取りをしたらどうですか。
行政書士を入れおばさんを施設に入所させる算段をつけたが…
この話は我が家からおばさんには一切相談することなく親族に提案しました。
もしも先におばさんに話したら事が進まなくなる可能性もあったので、それはもうこの際 致し方ないことでした。
そしてここでさんざん協議した結果、親族たちは渋々この提案に同意しました。
そしてまずはおばさんの家を売却したのですが、田舎の屋敷なので土地込みでも400万円にしかなりませんでした。
さらに5人の兄弟姉妹から毎月それぞれ3万円ずつ出し合ってもらい、残りはおばさんの年金を足して、最終的にはおばさんが施設に入って生活するところに落ち着きました。
しかしながら彼らの人間性を考えると 口約束のままではいつ逃げ出されてもおかしくないので 行政書士に間に入ってもらって書面を作り 全員に署名してもらいました。
なんだか事務的にどんどん進めてきたのが遠縁の我が家なのは非常に嫌だったのです。
しかし誰も重い腰を上げようとはしなかったので、この時にはこれが最善の選択でした。
【兄弟は他人の始まり】誰一人として施設に面会に来ない現実に直面して
私はおばさんに会いに 時々施設に足を運んでいますが、聞くところでは5人の兄弟姉妹はおろか、その甥っ子や姪っ子も誰一人として面会に来ていないということです。
おばさんはさみしそうでしたが、ここまで至っては「彼らに心のつながりを期待することは難しかろう」ということでその点はあきらめてもらうしかなく、現在はとりあえず落ち着いて暮らしています。
没イチのおばさんのソロ終活に互助会加入をすすめてみた
…と私なりにいろいろと考えた結果。
おばさんの葬儀はまだずっと先の話だろうし「縁起でもない話」と思われるのを十分に承知の上で、私は思い切っておばさんに互助会の加入をすすめました。
もしものことがあっても おばさんの兄弟姉妹は何もしてくれはしないことが今回のことでわかりましたし、私としてはお世話になった大好きなおばさんの最期をきちんとした形で見送ってあげたいのです。
おばさんはこの話を納得して聞いてくれてホッとしました。そしてこれから2人で 少しずつおばさんのソロ終活の段取りを決めていくつもりでいます。